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私のアジャイルジャーニー

私はアジャイルが好きです。考え方も好きだし、進め方も好きです。なにより、社内外のアジャイルを取り巻くたくさんのコミュニティとその中で活動している人が本当に大好きです。その理由の根底にあるのはやはり考え方にあるのだと思います。挑戦を続け、成功と失敗から学び、よりよい方法を常に見つけようとしていて、それを共有しようと動いていくこと。このような大小のSECIモデルが有機的なネットワークを結びアジャイルコミュニティ全体の発展につながっていることを感じます。

それを尊敬し感謝するとともに、今では自分もそのSECIモデルのループの一部になりたいと強く思うようになりました。このnoteも、アジャイルを広める仕事をしているのも、コミュニティに参加するようになったのもその一環です。その過程で勉強することも仕事をすることも好きになれました。大学で一留するぐらい勉強に興味がなかった自分がここまで変われたのはなぜなのでしょうか。この記事では私の「アジャイルジャーニー」という形で過去をふりかえり、その理由を探り、未来にむきなおって行きたいと思います。

この記事はシン・アジャイルAdvent Calendar 2022の初日の記事です。

トラブルプロジェクトが出発点

私のエンジニア人生のスタートはいわゆるトラブルプロジェクトでした。一括請負のウォーターフォールで、設計フェーズ時点ですでに遅れが発生していました。徐々に帰りが遅くなり週末の出勤が増えていく中で、先輩たちと時に疲れきって、時に妙なハイテンションで仕事をこなしていました。

その時に気づいたことがあります。こんな状況でも、チームをリードしながらこのつらい状況について、私たち以上につらいであろう顧客や最終顧客と冗談交えながら明るい雰囲気で前向きな話をしているリーダーたちが居たのです。私はただただ「すごい!」と感服し、ああいうコミュニケーションが取れるようになりたいと憧れを抱いていました。今思えば、その先輩方はアジャイルソフトウェア開発宣言にもある「個人と対話」「顧客との強調」「変化への対応」を地で行うことができていたのだと言えます。

結果的には納期は遅れてしまったものの、無事終了しました。私自身もトラブルプロジェクトながらも目をかけていただき、心身ともに元気で最初のプロジェクトを終えました。そして次のプロジェクトについての情報が入ってきます。どうやら「スクラム」とやらをやるらしいです。

アジャイル開発との出会い

2015年にはじめてのスクラムでのアジャイル開発に出会います。結論から書くととこれもトラブルプロジェクトになりました。今になれば理由は明白で、メンバー全員がはじめてのスクラム、メンバーのほとんどがはじめての技術、メンバー全員がはじめましてのビッグバンスタートだったのです。

チームが地道にスクラムマスターやアジャイルコーチの支援のもと進められたら良かったものの、スクラムマスターは開発者兼任で、アジャイルソフトウェア開発宣言はほぼ触れられず、スクラムの形だけなぞって進むチームはつらい状況に進む一方でした。結果的には、どうしようもなくなり、スキルを持った私の先輩が途中から入り、スクラムのプロセスを捨て、上司が尻拭いのためプロジェクトマネジメントに入りガントチャートを作成してそれベースで進めることになったのです。

プロジェクトはトラブル続きでスクラムは成功しなかったものの、私は何かを感じていました。というのもスクラムを調べる限り、困難はありながらもうまくいっている事例はあるし、始まる前までそのやり方が面白そううまく行きそうとワクワクしていました。しかしここからしばらくアジャイルと離れます。その途中にも学びは色々あったのですが割愛します。

アジャイルの実践とビジョンの産声

1年ほどして、スクラムの再挑戦の機会が与えられました。顧客が内製化を進めるにあたってベンダー交えたスクラムチームを立ち上げる場に入れていただけることになったのです。このプロジェクトへの参画が私の今の方向を決定づけていると言っても過言ではない、大きな出会いが3つあった大切なプロジェクトです。

スクラムチーム参画にあたり、事前に認定スクラムマスターの講習を受け資格を取らせてもらうことが出来ました。これを推薦してくれたのは当時の上司で、前回のスクラムの失敗時に尻拭いをしてくれた方です。つまり、セカンドチャンスを与えてくれた上に、それがうまくいくよう支援までしてくれたのです。安全策に倒すなら、一度失敗したメンバーに同じ領域を任せるのではなく、別のメンバーにもやらせて適性を見ようとする方も多いと思います。ですが、私は2度目のスクラムに出会うことができたのです。

また、この上司は部下に絶えず「武器になるスキルを持つこと、自分たちで飯の種を身につけることの重要性」を説いていて、危機感を与えようとしていました。当時はそれが深く理解できたわけではない程に平和ボケしていた自分ですが、今でも覚えているのは繰り返し伝えてくれていたからこそだと思います。そして今それは私の中でジョン・コッターの8ステップと結びついて内面化しています。

もうひとつの大きな出会いは、内製化にあたりアジャイルシフトを推進していた顧客のマネージャーでした。ソフトウェア開発効率やSIerのあり方への率直な懸念を私たちに真正面からぶつけて来て、その問題を共に解決していくための情熱に溢れた本当の意味でのマネージャーでした。マネージャー自らベンダーを巻き込んで勉強会を開いてくれたり、アジャイル開発だけでなく、デザイン思考やリーンの実践の機会や、コーチングやティーチングを通したフィードバックをチームに寄り添いながら与え続けてくれました。

一枚の付箋があります。これはある時、「あなたの仕事のゴールはなんですか?」とこのマネージャーに聞かれ1分という制限時間の中で私が書き出したものです。感化されまくりでした。でも素直な気持ちでした。自分でも笑っちゃうぐらい大きなことを書いてはいますが、今ではこの一枚の付箋に書き出したことが私の指針となり、少しずつ中身は変わりながらも私を突き動かし続けています。さもすれば暑苦しいと捉えられてしまう言動も、誰かを変えることができると気づかせてくださって、今でも勇気をくださる方でした。

もう1つの出会いは、一人の後輩です。実はこれまで私は後輩らしい後輩がいたことがありませんでした。中学高校は海外で先輩後輩という概念があまりなく、大学もサークルを1年で辞め、社会人でもチームで下っ端が続いていました。私は教えるという経験が浅く、彼は技術やアジャイルのバックグラウンドが無いという状態でした。それでもとても素直に聞いて学んでくれて行動までしてくれて、今ではアジャイルを進める一人目の仲間です。このことは私の誇りで自信にもなっているし、なによりシンプルに嬉しく思っています。

学習とコミュニティ参加

その3つの出会いと、アジャイルの実践が私の中のアジャイルへの理解と思いを深めてくれました。この頃からアジャイルの本を買いあさり始め、うず高く積み上げるようになります(全部とは言いませんがある程度は読んでます 笑)。Qiitaやnoteや社内メディアにも投稿を始めました。実践や読書などのインプットを学びとしてアウトプットすることで自分の考えを整理して内面化する学びのループが生まれたのがこの時期で、30歳にしてようやく勉強が楽しくなってきたのです。

そしてアジャイルを通して色んな方に出会い、様々なイベントに参加していく中で自分もなにか貢献したい!と思うようになり本格的なコミュニティへの参加の一歩に踏み出しました。それがRSGT2021ボランティアへの参加です。きっかけはAgile JapanやSAFe Global Summitで、運営者の人たち自身がとても楽しそうにしていたのと、やはり何か人と関わりたいという思いが生まれたからでした。

社内でのアジャイル活動もこのあたりから活発に出来てきていました。スクラム研修の再構成や、社内コミュニティの運営、社内活動のアジャイル化、動画やセミナーの作成など色々です。周りもそれを支援してくれていました。普段の仕事も、開発者、スクラムマスター、アジャイルコーチと、様々な面で自分のやってることとビジョンの合致を感じることが増え、仕事も意欲的になっていきました。アジャイルの理解が深まり、アジャイルなマインドセットが身についてきたと感じだしたのがこの頃です。

ただ、コロナ禍になりあまり適応できず苦しんだこともありました。リモートでのコーチングにうまく最初は適応できなかったり、アジャイルのコミュニティやそこでの関係性も継続的に持てなかったりと、自分の中でモヤモヤが続きました。コロナ禍のさなかに娘も生まれ、思うように時間が取れないことも増え、作れた繋がりを自ら断ってしまい反省と後悔をすることもありました。

でもそんな落ち込みを励ましてくれたのもコミュニティとそこにいる人々でした。具体的にいえば、落ち込みや子育てが始まった翌年のRSGT2022がそれでした。この時は他の方の自分の感情を素直に吐露しているnoteを見て、私も飾らず素直な気持ちを書きたいと思えた瞬間でした。ギャザりたいけどギャザりきれてない自分を見つめ直し、RSGT2022やその前後のイベントや会話などでそれすらも受け止めてもらえていたことに気づき、心が本当に楽になったのを覚えています。それから無理せず自分のペースで参加するタイミングを決めればいいと考えられるようになりました。今思えば何かになりたくて無理していたんだと思います。

そうして時間が経ち、コロナ禍での仕事にも子育てにも慣れてきた頃に、私の大好きな本たちである「カイゼン・ジャーニー」と「正しいものを正しくつくる」の著者である市谷さんがシンアジャイルのコミュニティを立ち上げるツィートを目にし、同時に場作りの協力者を募っていることも知りました。

これまではただの一読者だった自分が、この時は文面に悩みながらも勢いでDMを送りました。そうしてシンアジャイルの一員としてコミュニティでの活動と運営に定期的に携わることになったのです。

シンアジャイルはまだ生まれて4ヶ月程度の若いコミュニティです。運営もDevLOVE運営にも携わってきた方もジョインしてくれているので、その方たちの経験にも頼ったりしながらなんとか形が見えてきた段階です。お互いオフラインでもあったことがあるわけではなく、正直まだ遠慮がちというかぎこちない部分もあったりします。ですが、そういうのも「アジャイル」という同じ考え方の元で乗り越えていこうというベイビーステップを確実に積み重ねています。これからイベントもいくつか企画してるのでぜひ覗きに来てみてください。

自分のアジャイルジャーニーからの学び

ここまでが私のアジャイルジャーニーであり、社会人10年間のふりかえりでもあります。これで終えてしまうとただの自己満足自分語りになってしまう気がするので、「ふりかえり」である以上は学びを抽出したいと思います。ジャーニー部分が長くなってしまったので箇条書きです。

  • 困難な中でも(だからこそ)対話が重要であること

  • どんな失敗からでも学べること

  • メンバーの行動変容を起こせる情熱的なリーダーが重要であること

  • 自分のビジョンを持つこと

  • 同じビジョンを持つ仲間を持つこと

  • 自分にとってサステナブルなペースや方法を知り保つこと

ものすごく当たり前なことを書いているなぁとも思います。でも大事なのは私はこれらを私のジャーニーを通して理解していることだとも思っています。はじめは誰かの受け売りでも、それを単に知識だけではなく体験として、頭だけではなく心で理解している感覚です。このリストの文字列は私には熱気まで見えますが、同じように熱気まで見えるのかはその人の経験や考え次第です。これはアジャイルの実践にも近しいものだと思います。アジャイルを実践せずアジャイルを心から理解することは難しいのです。

未来へのむきなおり

基本は上に貼った付箋の画像から大きくブレてはいません。そのビジョンを達成していく上での進み方が今回のアジャイルジャーニーを書き、ふりかえり、リストのように言語化したことで自分の中で明確になった感じはあります。あえてあげるのであれば、私自身も誰に良い影響を与え行動のきっかけを作れるような、情熱を伝えられるリーダーになりたいですね。それを目指すにもあせらず、自分にとってサステナブルなペースと方法で。

シンアジャイルAdvent Calendar 2022明日の2日目は小田中さんの記事です。

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Takahiro Ito
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