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死ぬってなに?
昨日のnoteで、生き方についてかいたので今回は「生」と反対の「死」について書きたいと思います
「死ぬ」という言葉は日常でよく聞く言葉ではありますが、実際に直面することは少なく、自分の身に起こるのは人生の中で一番遠い未来の話です
死んだら天国に行ける。悪いことをしたから地獄へ行くなんてよく言われています。実際どうなのかは死んだ人にしかわかりません(技術の発展でいつかわかるのかもしれないけど)
また宗教によっても死に対する考え方は様々であり、日本では死生観について考えている人は少ないのかなと感じています
死ぬってなに?
これは僕がネパールに行き、世界遺産のネパール最大のヒンドゥー教の寺院“パシュパティナート”へ行った時に感じたことです。
普段「死」を体感しない僕にとって、ここで見た事、感じた事は全てが新しかった
ここでは毎日遺体が運ばれ火葬が行われます。火葬が終わった灰はガンジス川の支流であるバグマティ川に流されます。輪廻転生の信仰があるヒンドゥー教徒の理想的な死のかたちとされています。
そして、私たちのような観光客でもその様子を見ることができます。
「人の死を見せ物にしていいのか」という意見を持つ人もいるでしょう。
捉え方は見る人それぞれで違うと思います。
ただヒンドゥー教徒にとってこれは日常の一部であり、変わったことではありません。
この場所では死とは身近であるのです
ここを訪れると、ヒンドゥー教の文化、普段日本ではあまり目の当たりにしない“死”について考えさせられました。
食べ物への感謝
ネパールに行ったときにヤギのと殺をしに孤児院に行きました
孤児院につくと1匹のちいさなヤギがいました
僕はすぐにこのヤギを殺すんだと気づき、怖くなり、その後ヤギを見ることができませんでした
殺して食べるという実感がわかず、目を背けていました
そしてと殺が行われました。その光景は一生忘れないだろうと思いました
ヤギの肉でカレーを作り子供たちと食べました
こんなに命を頂くと感じながら食べたのは初めてでした
普段の生活では「命」を感じることはできないかもしれない
でも感謝だけは忘れないでいたいと思いました
生きてる幸せ
このnoteをかいて、改めて生きることについて考えました
「死」を考えることで「生」きることに価値を見出せたり、生きてる幸せを実感できます
普段生活していたら死のことについて考える機会などそうそうありません
これを機会にいちど食事の肉や魚、生き物をいただくということを意識してみませんか?