
#018 消えていく想像力
子どもの頃はどんなおもちゃでも楽しかった。おもちゃどころか、木の枝や段ボールで充分だった。想像できたからだ。
泥をまるめるだけで敵をぶっ飛ばす爆弾を、布を巻きつけるだけで空を飛べるヒーローに。なんでも自由自在に思い描けた。バカバカしさなんて微塵もなく、バーチャルリアリティの世界を自分で創り出せていた。束の間それは現実だったのだ。
あの頃の感覚がどんどん薄れていったのはなぜだろう。
おもちゃではなくお金でリアルを手に入れられるようになり、想像力が衰えていったのだろうか。あるいは消えていく想像力の代わりに身体が大きくなり、労働の対価を得られるようになった結果、お金に捉われるようになったのだろうか。
それを多くの人は「大人になる」と言い、それができない人には「大人になれ」と言う。
無論、現実に生きることは悪くない。そうすべきだ。ただし、そこにオートマチックな便利さだけを求めると本当になにも考えられなくなるかもしれない。ちょっとくらい不便で、ちょっとくらい我慢を強いられるくらいでちょうどいい。そこに想像する隙間と工夫する楽しさを見つけられるから。
軽トラとトライアルバイクで遊んでいるのは、そういう感覚だ。どちらも快適性とは対極にあり、でも不思議なほど気持ちがいい。乗っているところを思い浮かべるだけで楽しいし、乗ればもっと楽しい。ちっとも速くは走れないけれど、世界のどこへだって行ける気がする。