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#065 ふらりと出掛けてそれっきり
バロンという名前の柴犬を飼っていた。家にやってきたのは、僕が5歳の頃だったと思う。飼っていたといっても、事実上ほぼ放し飼い。家は山中の一軒家だったからそれで問題なかった。
ストレスフリーの日々だったに違いなく、バロンはずっと元気だった。そうやって16年が経った。
そんなバロンがある日、いなくなった。山でも川でも自由に遊びに行ける身だったから、一日くらい戻ってこないことはあった。でも、それ以来、ぷっつりと姿を見せなくなった。一年が過ぎ、二年が経っても。
そのまま三年近くになろうとしたある日のこと。父の呼ぶ声が聞こえた。
「おいあれ、どう思う?」
あれ、と指さした先には一頭の犬。薄汚れ、首輪はなかったけれど、柴犬らしき姿形を留めている。
「バロン?」
「やっぱりそうか」
「バロン!」
確信してそう呼ぶと、まるでなにごともなかったかのように近づいてきて、なにごともなかったかのように小屋へ入った。ゴワゴワになっていた毛があまりにもあんまりだったので三度ほどシャンプーし、バロンは元のバロンになった。
ところがほんの数日後、バロンは再びふらりと出掛け、今度こそ戻ってこなかった。小屋と器だけを残して、するりと消えた。あれは挨拶だったのだろうか。だとすると、ちょっと粋なやつだ。泡沫のように消えて、それっきり。そういう締めくくりはなかなかできるもんじゃない。さっぱりしていて、でも少しばかり余韻があって、案外素敵なことだと思う。できれば自分もそうありたい。
『スタンド・バイ・ミー』のあのシーンのように、今でもトボトボとどこかを歩きながら冒険しているんじゃないか。時々そんな風に思うことがある。