2023年はゆるふわに迷走
振り返ってみると2022年は変化の年だった。なんとなくいろんなことに過剰最適化気味だと感じていた中で、全く異なる環境に無理やり自分を突っ込みながらアンラーンをしようとしていた年だった。
1月には初単行本の「サーキット・スイッチャー」を刊行することができ、早川書房からデビューさせていただいた。本屋に行くと自分の本が平置きになっているのは嬉しかった。マキシマムリスペクトしていた小島秀夫監督にも感想ツイートをして頂けて感謝感激。続けて5月に発売されたアンソロジー「2084年のSF」にも「フリーフォール」を掲載いただいた。
弁護士の社長がリーダブルコードを読んでいることや、社名が読めないことで有名なリーガルテックスタートアップのMNTSQは4月に引き継ぎを行い、円満に卒業させていただいた。同社は今も利用企業が拡大し続けており、順調に成長している。
後半からはイギリスの美大に通い、準修士を取得しつつ、小説を書いたり、コードを書いたり、技術のキャッチアップをしていた。絵が一人だけ全く描けない中、画像生成AIを駆使しながらあらゆる課題を切り抜けるのはエキサイティングだった。課題提出に画像生成AIの技術革新がギリギリ間に合って本当によかった(この体験は12月発売号のSFマガジン「AIとの距離感特集」に掲載いただいた「純粋人間芸術」という短編に少し織り込まれたかもしれない)
8月には2018年まで自分が代表取締役をしていた会社(現PKSHA Communication/旧BEDORE社)のプロダクトが該当市場でシェアNo.1をとったらしい。自分たちが作った製品がちゃんと成長し続けているのはやはりうれしい。はじめた当初は某Wを数年で倒す!と言ってたが、ちゃんと達成できてよかった。
2023年のリソースアロケーションはまだちゃんと決めていないものの、大まかな方針というかキーワードはなくもない。
1つは色んな意味でゆるふわな余白を作ること。広い意味での余白の大事さみたいなものに気がついたのは美大での学びの一つかもしれない。効率を追求すると探索ができなくなる。環境変化に対する即応力もなくなる。地政学リスクやマクロ経済リスク、AI関連の破壊的技術革新リスクの高まりもある。ここは敢えて歯をくいしばって、ゆるふわな余白を持たねばならないのではないか。
もう1つは実験をたくさんすることである。非合理な個人の狂気がやはり大事なのではないかと最近思いつつある。何かをやった時のインパクトの分布はファット・テールなべき分布であり、殆ど全てが失敗に終わったとしても、さまざまな実験を真剣にやっていくべきなのではないだろうか。
つまり、逆にいえば、今こそゆるふわに迷走しているように見えるムーブこそが正解なのではないだろうか。また、大量のリソースを急速に投下する電撃戦よりも、インディペンデントな少数精鋭によるゲリラ戦の方に興味が湧きつつある。だから粛々と自分の中の破壊衝動を涵養してゆき、書きまくったり、喋りまくったりしてアウトプットを増やすぞと思っている。