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【My Life】 工場退職から動画クリエイターへ ~TAKAHIROの物語~

どうも、TAKAHIROです。
僕が工場を退職してから6年が経ちました。この6年間は決して平坦な道ではありませんでした。それでも、自分の選んだ道を一歩ずつ進むことで、今は動画クリエイターとして活動しています。

「なぜ工場勤務から動画クリエイターになったのか?」をテーマに、僕の幼少期から現在までを振り返りながらお話しします。


👶幼少期:自然豊かな田舎でのびのび育つ

僕は山口県の田舎町で生まれ育ちました。未熟児として生まれた僕は、すぐにNICU(新生児集中治療室)に運ばれました。体が細く、生まれて、生きているだけで奇跡。このスタートが、もしかしたら「限られた時間をどう生きるか」という僕の価値観の基礎になっているのかもしれません。

幼少期は、田んぼや山、川が広がる自然に囲まれて育ちました。祖父の漁船で魚を捕まえたり、祖母の昔話を聞いたりする時間が僕にとっての宝物でした。一方で、家に帰ればレゴやミニ四駆、ゲームに夢中になる普通の少年でもありました。

この頃から、ものを作ることや、空想の世界で遊ぶことが好きだった僕。今思えば、この体験が「クリエイティブ」な道への第一歩だった気がします。

工場勤務の父親と専業主婦の母親の元に2人兄弟の次男として生まれた。
このときからクリエイターっぽい。

🏃中学時代:部活での挫折と学び

中学では陸上部に入部しました。短距離走の練習に励む日々でしたが、厳しい指導や友人関係のトラブルから、人間関係で大きな壁にぶつかりました。

中学2年生ではいじめを経験。顔を殴られて鼻血が出るほどの出来事に、人間不信に陥りました。内気でおとなしかった僕は、標的にされ辛い経験を味わいました。

それでも、走ることを通じて「自分の限界に挑戦する楽しさ」を知り、仲間との絆も少しずつ取り戻していきました。この経験が、後に困難を乗り越える力となり、今の自分を支えています。

内気でおとなしい少年だった。
卒業式。

🏫高校時代:「ものづくり」の原点

僕が進学したのは地元の工業高校。クラスメイトはほぼ男子ばかりで、恋愛とは無縁の日々でした。「青春」という言葉に憧れつつも、どこか距離を感じる自分がいました。

そんな僕が夢中になったのが、アニメの世界です。きっかけは「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品。あの独特な世界観やキャラクターに引き込まれ、アニメオタクとしての扉が開かれました。毎週放送を楽しみにしながら、どこか「非日常」への憧れを感じていたのを覚えています。


「高校生ものづくりコンテスト」で得た達成感

工業高校では、「ものづくり」のスキルを磨くことが日常でした。その中で特に印象に残っているのが「高校生ものづくりコンテスト」。僕は電子回路を組み立てる競技に挑戦しました。

何度もミスを繰り返しながらも、少しずつ技術を身につけていき、県大会で上位入賞を果たすことができました。この時初めて、自分が「作ること」に対して持っている熱量を実感しました。自分の手で形にしていくプロセスが楽しく、またその成果が認められたことが何よりも嬉しかったです。

この経験が、「クリエイティブな活動」への興味を深めるきっかけになったと思います。

地元のテレビ番組で放送された。

進学か就職か、迷いの中で選んだ道

高校卒業後の進路として、広島にある工業系の大学に進学するか悩みました。ITやプログラミングの分野にも興味があり、「もし進学していたら、今頃はプログラマーとして働いていたのかもしれない」と思うこともあります。

しかし、家庭の経済的な事情などで、僕は大学ではなく地元の工場に就職する道を選びました。当時はそれが最善だと思っていましたが、「別の未来」を想像して胸がざわつくこともありました。


田舎では「就職」が当たり前だった。

都会の人から見ると、なぜ工場で働くのか不思議に思うかもしれません。でも、僕の地元では高校卒業後に進学するよりも、地元企業に就職するのが「普通」でした。

進学の道を考えなかったわけではありません。でも家庭の事情や、地元で働くほうが安定しているという考えから、自然と工場勤務の道を選びました。周りの友達もほとんどが同じように地元で働いていましたし、それが当たり前のように感じていました。

僕の職種は「生産ラインオペレーター」三交代勤務をしていた。

三交代勤務とは、二十四時間を八時間ずつ三つの時間帯に分け、三つのグループがそれぞれの時間帯をローテーションする働き方のことで「シフト勤務」とも呼ばれていた。製造業では多くの会社が工場を常時稼働させていて、そうした操業スタイルを支えるために交代制の勤務スタイルを採用するところが多い。

深夜手当がついて、給料は高かったが、普段眠っている時間帯に働き、普段起きている時間帯に眠るため、生活リズムが乱れ、体調不良を起こしやすくなった……。

WEB小説「現実逃避」より
工場勤務時代。

高校時代から今に繋がるもの

高校時代に学んだことの多くは、今でも僕の活動の基盤となっています。「ものづくりコンテスト」で培った集中力や粘り強さは、動画編集や映像制作のプロセスに活きていますし、アニメから影響を受けた「表現することの面白さ」は、映像を作る時の根底にあります。

もし高校時代の僕が今の自分を見たら、どんな顔をするでしょうか? 恥ずかしがりながらも、少しは誇らしいと思ってくれるといいなと思います。


🫂成人式での再会

20歳の冬、地元のホールで成人式が開催されました。当時、工場での仕事に追われていた僕にとって、久々に同級生と顔を合わせる機会。懐かしさと少しの緊張感を抱えながら式に向かいました。

会場に入ると、そこには中学時代の友人たちや、かつて同じクラスだった仲間たちが勢揃いしていました。それぞれが学生生活を続けていたり、就職して働き始めていたりと、みんな少し大人びた印象になっていました。

特に印象的だったのは、同級生の中で写真家として活躍している友人が、たくさんの写真を撮ってくれていたこと。式典の後、集合写真を撮ったり、談笑している場面をカメラに収めてくれたりと、その瞬間瞬間を記録してくれました。後日その写真を見返すたびに、あの頃の思い出が鮮やかに蘇ります。

酔っ払い。

片思いの人との再会

成人式には、ちょっとドキドキする瞬間もありました。それは、中学時代に片思いをしていた人との再会です。彼女を見つけた時、思わず「美人になったな」と心の中でつぶやいてしまいました。

けれど、いざ話しかけてみると、緊張でうまく言葉が出てきません。中学時代から変わらない口下手な自分に、少し恥ずかしい思いをしたのを覚えています。その後も、何となく距離を縮められないまま時間が過ぎていきました。


あの時、Vlogをしていたら

今振り返ると、「あの時Vlogをしていたら、もっと鮮やかに思い出を残せたのかな」と思うことがあります。写真だけではなく、動画として動きや音声、みんなの表情をそのまま記録できていたら、さらに感動的だったかもしれません。

成人式で感じた「時間の流れ」や、「自分も少しずつ大人になっているんだな」という実感を、動画を通して形にしておけば、未来の自分にとってもっと大切な宝物になったのではないかと思います。


🏭変化を嫌う大人たちと、閉鎖的な環境

工場の仕事は、正直言って単調でした。毎日同じ作業を繰り返し、時間が過ぎるのをただ待つ日々。それだけならまだしも、周りの環境もまた、変化を拒む閉鎖的なものでした。

例えば、地元の大人たちは新しいことや変化を嫌い、「このままでいいじゃないか」と現状維持を当たり前のように考えていました。休日に外出しても、どこに行っても知り合いに会う。田舎の狭いコミュニティならではのことですが、それが息苦しく感じることもありました。

娯楽も少なく、刺激に乏しい毎日。「このまま、この場所で一生を過ごすのかな」と漠然とした不安を抱えることも増えていきました。


働きながら感じた違和感

工場で働く中で、ふとした瞬間に「本当にこれが自分のやりたいことなのか?」と思うことがありました。

確かに地元で働くことには安定がありますし、親世代からは「それが普通だ」と言われる環境でした。でも、自分の中ではどこか満たされない感覚が常にありました。

「もっと広い世界を見たい」「自分の力で何かを作り出したい」という気持ちが、少しずつ大きくなっていきました。でも、その一歩を踏み出すのは簡単ではありません。地元の「当たり前」に縛られている自分がいたからです。


🎥人生を変えた「Vlog」との出会い

2017年のある日、僕はいつものように工場の仕事を終え、家に帰ってベッドに寝転がりながらYouTubeを見ていました。その頃は、特に趣味もなく、仕事以外の時間はスマホをいじったり、なんとなく動画を見て過ごす日々。

ちょうどその時、YouTube上ではVlogが流行り始めていました。偶然目にしたのが、Ussiyさん、Arataさん、大川さんのVlog。彼らが映し出す日常や旅の様子に引き込まれ、「自分もこんな風に記録してみたい」という思いが湧き上がってきました。

そして、何よりも衝撃を受けたのがSam Kolderの映像。まるで映画のように美しく、ダイナミックな編集と表現力に、「こんな世界があるんだ」と強烈なインパクトを受けました。


カメラもスキルもゼロからのスタート

当時の僕には、カメラもなければ動画制作の知識もありませんでした。それでも、何かを始めたいという気持ちは抑えられず、すぐに行動に移しました。まずは動画編集に挑戦するために、人生初のMacBookを購入。

最初に手をつけたのは「iMovie」。誰でも手軽に動画編集ができるアプリですが、僕にとっては未知の世界。記念すべき最初の作品は、なんとゲーム実況動画。今思えばクオリティはお世辞にも高いとは言えませんが、自分で一から動画を作り上げる経験にワクワクしたのを覚えています。

その後、何本か短い動画を作りながら試行錯誤を繰り返しました。楽しいと感じる一方で、思うように編集が進まなかったり、理想の映像に近づけなかったりと、辛いことも多かったです。それでも、動画編集の奥深さに魅了され、「もっと上手くなりたい」という気持ちがどんどん強くなりました。

初めての動画編集に挑戦!

🐙大阪時代:都会の憧れとVlogへの第一歩

工場退職から大阪へ

2018年の3月末、それまで4年間勤めていた工場を退職しました。工場で働くことに対する違和感や、都会への憧れがどんどん強くなり、「このままじゃダメだ」という気持ちが大きくなっていました。

大阪に住む知人がいたこともあって、「思い切って新しい場所で挑戦してみよう」と決意。契約社員として働きながら、一人暮らしをスタートしました。田舎から出てきた僕にとって、大阪は全てが新鮮で、辛いこともあったけれど、不安よりもワクワクの方が勝っていました。

大阪時代。

音楽に救われた日々

都会での生活は刺激的でしたが、一人暮らしの孤独や、新しい職場でのストレスを感じることもありました。そんな時に心の支えとなったのが、ONE OK ROCKの音楽です。

彼らの曲は、挫けそうな時に元気をくれたり、「自分ももっと頑張らなきゃ」と奮い立たせてくれるものでした。特に「努努-ゆめゆめ-」の歌詞に共感し、どれだけ救われたか分かりません。


初めてのカメラ購入

大阪に来てから、少しずつ「自分が本当にやりたいことは何だろう」と考えるようになりました。そんな中、勇気を出して購入したのが ソニーのアクションカメラ(FDR-X3000) と、Canonの一眼レフカメラ(EOS Kiss X9i) です。

アクションカメラでは日常の様子や街歩きの映像を撮り、一眼レフでは写真撮影に挑戦しました。しかし、当初はカメラの知識が全くなく、せっかくの一眼レフでも、まともに写真が撮れませんでした。

撮った写真がイメージ通りに仕上がらず、悔しい思いをしたことを覚えています。でもその悔しさが、撮影技術を独学で学ぶきっかけとなり、夢中でシャッターを切り続けました。

Canon EOS Kiss X9i
Sony FDR-X3000

Vlogの始まり

この頃、知人と一緒にYouTubeでVlogを始めました。新しい環境やカメラを使って撮影するのが、とても楽しかったのを覚えています。しかし、途中で知人がVlogをやめてしまい、結局ひとりで続けることになりました。それでも、「せっかく始めたんだから」という気持ちで諦めずに続けました。この時の決断が、今の僕を形作る大きな一歩になったと感じています。


🇹🇼台湾ひとり旅:初めての海外と旅動画への挑戦

2018年11月、ふと「海外に行ってみたい」と思いました。特に深く考えたわけでもなく、「日本から近いし、行きやすそう」という理由で台湾を選びました。その日のうちにネットで航空券を購入し、パスポートも申請。思い立ったら即行動、今考えても自分の勢いに驚きます(笑)。

この時期、旅動画のシネマティックスタイルが流行していた影響もあり、「自分もこんな映像を撮りたい」という気持ちが湧いていました。それが、初めて「思い出を動画として残したい」と強く感じた瞬間でもありました。

初めての海外、そしてひとり旅。慣れない環境や言葉の壁に戸惑いつつも、カメラを持って台湾の街を歩き回る時間はとても充実していました。台湾特有の温かい人々や美味しい料理、夜市の活気ある雰囲気……どれも新鮮で感動的でした。

この旅で撮影した映像を編集し、一本の動画に仕上げたのが 「初めての台湾一人旅」 というVlogです。完成した時の達成感は今でも忘れられません。自分にとっての記念すべき作品であり、動画クリエイターとしての第一歩でした。

また、本格的な編集がしたくなり、「Final Cut Pro」にステップアップ。編集はすべて独学で、映像クリエイター / UssiyさんのYouTube動画を見ながら少しずつ技術を学びました。

台湾旅行の映像を編集するのに約1週間を費やし、記念すべき初の長編VlogをYouTubeに投稿しました。この動画がきっかけで、チャンネル登録者数が「0」から一気に「50人」に増えるという初めての成功体験を味わいました。正直、驚きと嬉しさでいっぱいでした。この反響が僕にとって大きなモチベーションになり、Vlog制作にどんどんのめり込むようになりました。

📹 デビューVlog

この経験が、旅を「記録する」だけでなく「表現する」ことの楽しさを教えてくれました。そして、僕のVlog人生が本格的に始まった瞬間だったと思います。


🏍️Motovlog: バイクが開いた新しい世界

台湾Vlogを投稿して数日後のこと。たまたまYouTubeで見たバイク動画に魅了され、「自分もバイクに乗ってみたい!」という衝動に駆られました。それがきっかけで、教習所に通いながら仕事を続け、ついにバイクの免許を取得。手に入れた愛車は、中古で30万円の Yamaha XJR400。今でもこのバイクとの出会いは忘れられません。

バイクに乗るようになって始めたのが、「Motovlog(モトブログ)」です。Motovlogは Motorcycle(バイク)+Video(動画)+Blog(ブログ) を組み合わせた造語で、バイクに乗っている様子やバイクライフを映像で記録するもの。当時流行していて、僕もその波に乗りたいと思いました。

愛車とともに、淡路島や琵琶湖一周の旅に出かけたこともあります。カメラを回して、ただ無言で走るだけのシンプルなスタイルでしたが、風を切る音や景色の移り変わりを映像に残すことで、その瞬間の感動を閉じ込めることができました。再生数は少なかったですが、数字以上に「自分の思い出を形に残せる」というVlogの魅力を実感した瞬間でした。

Motovlogを通して、バイクをただの移動手段ではなく、体験そのものとして楽しむようになりました。映像の中で感じる風や音、走った道の記憶は、今でも鮮明に思い出せます。そして何より、Vlogを通じて「日常を特別なものにする」という感覚を学ぶことができました。

バイクでの旅と、それを映像に残すこと。この二つが重なった時の喜びは、Vlogを続けるモチベーションの一つとなっています。今でもあの頃のMotovlogを見返すたびに、初めてバイクで旅をした時の感動が蘇ります。

Motovlogをやってよかった。
それが今でも揺るがない僕の気持ちです。


🗼上京と新たな挑戦

2020年、コロナ禍が本格化する直前に、僕は上京しました。それまでの2年間、大阪での生活を満喫しながらVlogを続けていましたが、新たな環境で自分を試してみたいという気持ちが強く、東京への引っ越しを決意しました。

Cinematic Vlogへのシフト

東京での生活が始まると同時に、Vlogのスタイルにも変化が訪れました。この頃から Cinematic Vlog を意識して撮影するようになったのです。東京のおしゃれなカフェや有名スポットを訪れては、カメラを片手に撮影の日々。Vlog専用カメラとして購入した Sony VLOGCAM ZV-1 は、軽量で機動性に優れ、撮影がとにかく楽しかったのを覚えています。

「TOKYO VLOG」シリーズは、視聴者から反響があり、コメントやいいねをいただきました。特に東京の都会的な風景やカフェの雰囲気を映像で表現することに没頭し、編集にも力を入れるようになりました。


初めての企業案件

東京での活動を通じて、Instagramで繋がった人たちとコラボレーションする機会も増えました。中でも iPhone Cinematic Vlog の制作は、新たな挑戦でした。シンプルな機材でもここまで撮れるのかと驚き、自分の技術の幅が広がるきっかけになりました。

また、初めて企業案件をいただくようにもなりました。カフェや製品レビューなどの撮影依頼が入り、少額ながら報酬を得ることで「趣味が仕事に変わる」瞬間を経験しました。このとき、映像制作が単なる趣味から 「映像=仕事」 という感覚に変わっていったのです。

📹思い出の動画

  • TOKYO VLOGシリーズ

  • 初めての商品レビュー動画

  • iPhone Cinematic Vlog

  • PINTEREST ビデオコンテスト受賞作品

上京したことで新しい挑戦が増え、生活も映像制作も一気に充実していきました。東京での経験が、映像クリエイターとしての基盤を築く大きな一歩になりました。


🤝Ryu-Goさんとの出会いと新たな挑戦

2021年、人生の大きな転機となる出会いが訪れました。ある日、InstagramのDMに届いたメッセージ。「アパレルのPVを作りませんか?」これまで数多くの作品を作ってきたものの、仕事としてのPV制作は未経験。正直、半信半疑でしたが「せっかくのチャンス」と思い、勇気を出して引き受けることにしました。

初めてのPV撮影

打ち合わせはZoomで行い、東京駅でモデルさんと待ち合わせ。すぐに撮影がスタートしました。準備不足の中、がむしゃらにカメラを回したのを今でも鮮明に覚えています。撮影技術も十分ではなく、ただ必死に撮り続けた日々。それでも、その経験が自分にとって大きな一歩となり、数ヶ月後にはRyu-Goさんと直接会い、Cinematic Vlogを一緒に撮影するまでになりました。


映像制作への新たなステージ

この経験をきっかけに、自分の中で映像制作の視野が広がりました。Ryu-Goさんとの出会いで「実績」という形を初めて持つことができたのです。これがターニングポイントとなり、以降、モデルさんを起用した作品が生まれました。Cinematicな演出とストーリー性を兼ね備えたものを目指しており、視聴者からの反響も徐々に増えていきました。


クライアントワークと映像の実務経験

Ryu-Goさんとのコラボをきっかけに、ウエディングムービーやプロモーションビデオの依頼も増え始めました。これまで趣味だった映像制作が、徐々にクライアントワークへとシフトしていく過程で、多くの実務経験を積むことができました。さらに、某テレビ局の編集業務にも携わるようになり、映像制作のプロフェッショナルとしての道が少しずつ形作られていきました。

📹思い出のPV

  • 初めて制作したアパレルPV

  • Breakin Performance Movie

この出会いと経験が、現在の映像クリエイターとしての活動に大きな影響を与えています。何もなかった自分にチャンスをくれたRyu-Goさんには、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、初心を忘れず、さらに進化した映像を届けていきたいと思います。


🧑‍💻動画編集代行サービスの開始

「動画は撮るけど編集がめんどくさい。誰かにお願いしたい。」
そんな声があることに気づき、僕は2021年5月に ココナラ でVlogに特化した動画編集代行サービスを始めました。当時の僕にとっては、動画制作が趣味以上のものに変わる大きな挑戦でした。「Vlogはビジネスになる」という信念のもと、ニーズに合わせたサービスを展開することで、少しずつ依頼が増えていきました。

夜中まで編集の日々

仕事から帰るとパソコンを開き、夜中まで編集に没頭する毎日。時には寝不足になることもありましたが、編集作業が終わり、クライアントから喜びの声をもらえるたびにやりがいを感じました。さらに、自分のアイディアやスキルが「お金」に変わる経験は新鮮で、会社以外でまとまった収入を得られることの刺激が大きかったです。

サービスが波に乗る

依頼が増える中で、クライアントのニーズを理解し、クオリティを高めることに注力しました。結果として、多くの方から信頼を得ることができ、サービスが軌道に乗っていきました。この経験は、単に収入を得る以上に、「自分の好きなことで価値を提供する」ことの喜びを教えてくれました。

振り返り

この時期に培った編集スキルやクライアントとのコミュニケーション力は、現在の活動にも大きな影響を与えています。「趣味が仕事になる」という感覚を初めて実感したのも、このサービスを通じてでした。

このサービスの開始をきっかけに、映像制作の可能性がさらに広がり、未来へのステップとなりました。


📱Shunsuke Gotoさんとの出会い

2021年9月、iPhone写真のプロとして知られる Shunsuke Gotoさん と初めてYouTubeでコラボしました。きっかけは、コロナ禍の自粛期間中。Gotoさんは映像クリエイターの Arataさん大川優介さん のYouTubeをよく観ていたそうで、その流れでたまたま僕の動画を発見し、DMを送ってくださったのです。

DMをいただいた時は驚きましたが、すぐに意気投合し、コラボすることに。初のコラボ動画撮影では、GotoさんのiPhone写真のスキルに触れ、僕自身も大いに刺激を受けました。

📹初めてのコラボ動画


iPhone写真への興味

この出会いを通じて、僕もiPhone写真に強い興味を持つようになり、インスタグラムへの投稿が増えていきました。気づけば 6000投稿 を達成!これは、日本人Vloggerとしては初の記録ではないかと思います。


毎年続くコラボ

Gotoさんとは今でも交流が続き、毎年恒例でコラボ動画を制作する仲に。この関係性が、映像制作だけでなく写真表現の幅を広げる大きなきっかけになりました。

この出会いがなければ、写真の楽しさや新しい表現方法に目を向けることはなかったかもしれません。Gotoさんとの出会いに感謝しつつ、これからも一緒に新しい作品を作り続けていきたいと思います。


🚁初めてのドローン撮影

2022年5月。山梨で、念願の ドローン撮影 に挑戦!
地上とはまったく違う視点から映像を撮影できる空撮は、これまでにない感動を味わえるものでした。広がる絶景を上空から映し出し、その迫力と美しさに圧倒され、「空撮って、やっぱりいいな」と心から思いました。

ドローンを操ることで、地上では見えない世界が広がり、まるで鳥になったかのような感覚を味わうことができました。この経験が、映像制作の新たな可能性を教えてくれたのです。

ドローン墜落の洗礼

しかし、感動に浸ったのも束の間…。
撮影中にドローンを操作ミスで 墜落 させてしまうという、動画クリエイターなら一度は経験する(?)“洗礼” を受けることに。笑
この時の状況は今でも鮮明に覚えていますが、同時に「ドローンは慎重に扱わないと」と肝に銘じた瞬間でもありました。

📹初めてのドローン撮影と墜落:


失敗から学んだこと

ドローンの墜落はショックでしたが、改めて空撮の魅力と難しさを実感し、さらに慎重な操作や計画が必要だと学びました。失敗は成長の糧。この経験を活かし、今後もよりクオリティの高い空撮映像を目指していきたいと思っています!


🦠コロナ感染、生死を彷徨う

2022年6月、僕はコロナに感染して自宅療養を余儀なくされました。高熱が続き、「このまま死ぬんじゃないか」と感じるほどつらい日々が続きました。幸いにも、ワクチンを3回接種していたため、症状が軽減された可能性がありますが、それでも体調が戻るのは遅く、不安な日々でした。

PCR検査の結果、陽性という診断が下り、その瞬間から自宅療養を始めることとなりました。正直、最初はどうして良いかわからず、孤独感や不安に押しつぶされそうでした。

発症日から5日目の支援

発症から5日目、東京都の自宅療養サポートセンター(うちさぽ東京) から支援物資が届きました。自宅療養中は外出できず、食料調達が難しい中で、物資が届いたことで少し気持ちが軽くなりました。支援される内容は地域によって異なり、私の地域ではお米、レトルト食品、カップ麺などが含まれていました。

こうした支援は、体調が悪くても食事に困ることがなく、精神的にも大きな支えとなりました。特に食料品の支援は非常にありがたく、療養期間中に最低限の栄養を摂ることができました。


コロナ感染VLOG

この経験をVlogとして記録し、YouTubeに投稿しました。自分がどれだけ辛い状況なのか、皆さんに伝えたかったからです。多くの人が同じような状況に陥ったかもしれないと感じ、自分の経験をシェアすることで、少しでも誰かの参考になればと思いました。

自宅療養サポート

自宅療養を支援してくれた東京都にも感謝しています。療養中の精神的支えになりました。


🎬MIKUROMIKAさん - MV制作

ある日、SNSのDMで、MIKUROMIKAさんから撮影のオファーをいただきました。正直、驚きましたが、同時にその情熱に心を動かされ、依頼を受けることに決めました。彼女は、僕が過去に撮影した動画の細かい部分まで覚えていて、非常に熱意を感じました。

とはいえ、実はMV(ミュージックビデオ)を制作した経験は一度もなく、何をどう進めるべきか、全くの未経験でした。撮影当日も不安でいっぱいでしたが、与えられたチャンスを無駄にしたくないという気持ちで、必死にカメラを回し続けました。

その結果、僕にとって初めてのMV制作が無事に終わり、たくさんのことを学ぶことができました。この経験が、僕を成長させてくれたことは言うまでもありません。

📹1日貸切で撮影した、初めてのMV

このMV制作を通して、技術的にも精神的にも多くのことを学びました。これからも、どんな経験も恐れずに挑戦し続けたいと思います。MIKUROMIKAさんには感謝の気持ちでいっぱいです。


✒️WEB小説執筆

2023年5月から、自作小説「現実逃避」の執筆をスタートしました。この小説は、自身の体験をもとに描いており、日本一の動画クリエイターになることを目指す、主人公の宮部孝之を中心に、「夢」「努力」「葛藤」を描いた物語です。

小説を書くきっかけは、ある日、夢の中で憧れのクリエイターと一緒に撮影しているシーンを見て、その出来事をX(旧Twitter)に小説風に投稿してみたことでした。その投稿がきっかけで、「あれ?もしかしたら自分も小説が書けるのでは?」と考えるようになり、挑戦することに決めました。

実際に小説を書くのは初めての経験で、最初は「小説を書くのは一部の天才だけだろう」と思っていましたが、渋谷のラウンジでVlog撮影をしている時にふと思いついたアイデアをもとに、カクヨミで連載を始めました。

毎日書き続けるうちに、気づけば5万文字を超えていました。最初は表現がうまくいかず悩んだ日々もありましたが、徐々に表現力も広がり、自分の成長を実感しています。時には、1日中執筆しても進まない日もありましたが、それでも諦めずに続けました。

現在、連載中の「現実逃避」は、面白いかどうかはまだ分かりませんが、最初の一歩を踏み出したことで視野が大きく広がり、新しい創作活動に挑戦する楽しさを感じています。

また、この小説の世界観から派生した別の作品「スマホ人間」も執筆中で、主人公の神崎絢音を中心に、スマホに翻弄される人々を描いた物語です。現代社会を皮肉った内容で、これらのクリエイティブ活動を通じて、小説の奥深さを痛感しています。

6作品を執筆中。

📹小説のアイディアが降ってきた瞬間を収めたVlog

小説の執筆は思った以上に辛く、時に悩みますが、その過程こそが新しい世界に繋がっていると感じています。これからも自分のペースで続けていこうと思います。


🔥最近の挑戦とこれから

最近は映像制作にとどまらず、デザインや小説の執筆など、さまざまなクリエイティブ活動に挑戦しています。特に、InstagramやTikTokなどの縦型ショート動画に特化したスタイルを取り入れ、時代の変化を感じています。僕がVlogを始めた頃(2018年)は、横型動画のTravel Cinematicが主流でしたが、今や縦型動画が主流となり、Cinematicという表現方法が少し衰退しているのも事実です。

それでも、僕は変わらずCinematic表現を追求していきたいと考えています。なぜなら、Cinematicは僕の原点だからです。憧れのクリエイターに影響を受け、技術を磨きながら自分のスタイルを確立してきました。このスタイルこそが、Cinematic Vlogger TAKAHIROです。

変化する時代の中で、僕は常に動き回り、進化し続けることが大切だと思っています。映像制作においても、デザインや小説執筆など、新しいことに挑戦することが自分の成長に繋がっていると感じています。

今までのターニングポイントを振り返ると、どれも大切な出来事でした。一つでも欠けていたら、今の僕はいなかったかもしれません。そう考えると、今の自分が生きているこの時間は、まさに奇跡のような瞬間だと思います。

5年後、10年後、僕がどのようなクリエイターであり続けるのかは分かりませんが、何かしらの形でクリエイティブなことをしているのではないかと思っています。不安な気持ちもありますが、何よりも子供心を忘れず、好奇心旺盛な大人であり続けたいと思っています。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします!

現状に満足せず。 失敗を恐れず。 飛躍していこう。 次のステージへ!
Not satisfied with the status quo. Don't be afraid to fail. Let's take a leap. Go to the next stage!

「My Year 2022」より
TAKAHIRO | Vlogger

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