R.I.P 清川栄治

 元広島、近鉄の投手で、現在西武ライオンズの投手育成アドバイザーだった清川栄治氏が亡くなりました。
 私がプロ野球を観始めた1985年はプロ入り2年目で12試合しか登板していません。ですので、初めて見たのは1986年以降かもしれませんが、初めて見るサイドスローの投手でした。私は右利きでしたが、よくサイドスローを真似したものです。

 幼少期は身体が小さく、小中学校で整列の時はいつも前から2番目だったそうです。小学6年から投手をするようになりますが、父親を早くに亡くしており、野球に専念できる状況でもなかったようです。それでも甲子園を目指して学費の高い私立高校進学することを決意し、中高の6年間は朝夕の新聞配達をして家計を助け、京都商業高校へ進学したのだそうです。その甲斐あって2年連続で甲子園出場を果たし、3年生の時はエースとして準々決勝まで進んでいます。

 大阪商業大学でも野球を続け、1年生から関西六大学リーグで活躍しますが、4年の時に調子を落としてドラフトにはかからなかったようです。しかし、プロ野球選手への気持ちを捨てきれず、ドラフト外でカープに入団しました。当時のカープのドラフト外なんていうと、年俸はいくらだったのやら、、、相当安かったことと想像できます。しかも、当時のカープは投手王国、一軍へ上がるためにサイドスローに転向し、左打者を完璧に封じることをに活路を見出し、ワンポイントリリーフとして活躍してくれました。

 1991年には野林大樹選手とのトレードで近鉄に移籍しています。ここで野林選手のお名前が出てくるとは、、、野林選手は私の会社の近所にある駿河台大学の野球部の監督と務めておられ、当時は色々とお世話になりました。近鉄に移籍してからも同様に左のワンポイントで活躍しています。

カープのコーチを務めてくれたこともありましたが、ライオンズにいらっしゃったとは存じ上げませんでした。2014年からライオンズの一軍投手コーチとなり二軍コーチ、二軍育成担当、ファーム総合コーチを歴任し、2023年限りで退任するも、投手育成アドバイザーに就任しています。2023年から闘病されていたそうですから、球団が居場所を残してくれていたのでしょう。

 まだ62歳、またカープで指導して頂いて、現在の塹江投手、長谷部投手辺りを鍛えて頂けるような年齢ですが、残念です。R.I.P

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