鈴木康友
職業差別とも捉えられる発言が炎上し、辞職を表明していたしずおかけんの川勝知事が辞表を提出しました。牽制のトップですから、通常は辞表の宛名になる側だと思うので、どこに提出するのかと思いましたが、県議会議長に提出するのですね。知りませんでした。
次の知事候補にと川勝氏から立憲民主党の衆議院議員・渡辺周氏の名前が挙がりましたが、他に副知事の大村慎二氏、浜松市長の鈴木康友氏の名前が挙がっています。ですので、報道などで「鈴木康友」と言うお名前がどうしても聞こえてくるのですが、聞くたびに西武ライオンズにいた「鈴木康友」を思い出してしまいます。同姓同名、字も同じなのですね。
「西武ライオンズにいた」と書きましたが、西部にいたのは1985年と1990〜1992年の4年でした。私がたまたま野球を見始めたのが1985年でしたから西武の印象が強くなっていたのでしょう。しかし、その年も13試合しか出場していなかったようです。おそらく当時プロ野球にハマって、やたらと選手名鑑とか週刊ベースボールを読んでいたから刷り込まれていたのでしょう。
1977年に天理高校からドラフト5位で巨人に入団し、3年目から一軍出場を果たし、鴻野淳基とのトレードで西武に入団するも、一年でトレードに出されて中日に移籍し4年後またライオンズに戻っています。レギュラーで出場し続けたのは中日の1年目くらいでしたが、内野のユーティリティプレイヤーとして重宝されたのか、各球団を渡り歩きながら13年一軍出場を続けました。なんとも渋い選手でしたね。
1992年で引退し、西武でコーチを務めてから巨人、オリックス、茨城ゴールデンゴールズ、富山サンダーバーズ、西武、楽天、ソフトバンク、徳島インディゴソックスとコーチを歴任しています。これだけお呼びがかかるのは凄いですね。
そんな鈴木康友が、静岡県知事選挙の投票にわずかながらでも影響するのではないかと勝手に想像して、ちょっとニヤけております。