悲願へ 第二部 8
続きです。
19世紀が反自己に苛まれた人によって、礼儀、人間の夢、志が現実社会に噴出する時代が現出したということでしたが、では、そうでない時代というのはどういうものだったかというと、貴族は、貴族であることを悩むわけでもなく、貧乏人など歯牙にもかけていない、能力のある人はない人を相手にしない、下の人も上に憧れることがない、なんていうか固定化していて、躍動していない社会だということでした。そういういみでは、弊社も成長スピードが遅く、仕事が、人材が躍動しているという所からは程遠いなと思いました。
「美しい社会というのは絶えず、全ての人が努力をしていて、何らかの枯渇感を持っている社会なのです。努力をしていない場合は、努力していない自分に反自己といういい意味でのコンプレックスを持っているということです。」とありました。さらに、「絶えず求め続ける人」ともありました。完璧な人間なんていませんから、絶えず求め続ける姿勢というのは大切だと思いますし、企業でも現状維持でイイやと思った時から衰退がはじまると言いますから同様のことだと思います。現状に甘んじていてはいけないんですよね。
善の言葉で、「両頭ともに截断(せつだん)せば、一剣(いっけん)天に倚(よ)って寒(すさま)じ」ちおうものが紹介されていました。色々なことを考えているが、それを全部捨てれば、必ず宇宙的、生命的な結論が出てくるという意味だそうです。意味は伝わってきますが、どう昇華したら良いかわかりません。この後に「あらゆるものを勉強して、あらゆるものをその場で毎日捨て去らなければ、本当の人生はうまれない。」ともありました。まだまだ、理解が及んでおりません。特に「捨て去る」というのがどういうことなのか。勉強したことを、「何かの役に立つ」と後生大事にもっているのではなく、どんどん次へススメということなのでしょうか。
こうした言葉を踏まえて、自ら色々と考えて、行動して、そうしたところから理解が進んでいくのかもしれません。
まだまだ続きます。
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