日本の美学 4
続きです。
「到達可能なものは欲望に転化するので、人生上は何も役に立たないということです。」とありました。20代後半に船井総研のセミナーで「到達可能な数字の目標ではなく、不可能だけど目指すべき目的があったほうがよい。到達可能な目標は金に堕落する。」という話を聴き、妙に印象に残っていましたが、20年越しで同様の考え方に出会うことができました。私自身は船井総研のセミナーの影響で、「交通事故の撲滅」と「トラックドライバーの社会的地位向上」を目指して仕事をしており、そこに近づいたようなことがあると仕事の成果を感じることがありますが、同時に、そうしたことが頭から離れている場合が多いので大いに反省したいと思います。ヨーロッパの騎士道で、騎士が叙任する際に憧れの女性一人選び、自分が一生その女性のためにいつでも命を擲つ宣誓をするのですが、その対象となる女性は自分と結婚できたり、交際することが叶わない方でなければいけないのだという話もありました。これが憧れの本質なのだそうです。そんな訳ですから、私自身も長くあこがれ続けた上戸彩を、まだまだ憧れていて良いということでしょう。
文学も未完が良いとのことでした。例としてドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」、埴谷雄高著「死霊」を上げていました。「カラマーゾフの兄弟」は読んだことがありますが、よく分からず、未完かどうかなんていうことさえ考えずに何とか読み切ったという感じでした。しかし、著者も「今挙げた『カラマーゾフの兄弟』や『死霊』などの大文学というのは、読んでも何もわからないこともある。しかし、その『分からない』ことが良いのです。」とありました。更に「分からないものに向かって、死ぬまで努力するのが人生なのです。」ともあり、今まで難しくて苦労して読んだけど、よく分からなかった本に対する、「もしかしたら無駄だったのか?」みたいな疑念が消えてなくなりました。ジャンケレビッチの「死」とか、3ヵ月くらいかけて何とか読み終えましたが、その3ヵ月も救われた気がします。「命というのは、分かろうとするその『もがき』なのです。」ともありましたので、もっと必死にもがいていきたいと思います。
続きます。