不可知論
先日読んだ竹本忠雄著「執行草舟の視線 美しい星いづこへ」をレビューしていましたが、執行草舟の壮絶な過去ばかりをピックアップしていて、序盤に登場した重要でありそうなキーワードをすっかり失念していました。そのキーワードは「不可知論」です。「不可知」ですから「知ることが可能ではない」ということと読み取れます。
本書には「真理、神といった至高価値を否定するわけではないが、それがどういうものか分からないと判断保留する立場が、不可知論(アグノスチシズム)である。」とありました。また、「三島由紀夫もアンドレ・マルローもはっきりと自分は不可知論者だと表明している」ともありました。さらに、「『不可知論とは信仰以上のものでもそれ以下のものでもない』とさえマルローは私への書翰で言い切っている。」ともありました。なんとも難しいわけですが、マルローの言葉からすると「不可知論とは信仰以外のなにものでもない」と解釈できます。一方で、その信仰の対象がどういうものか分からないと判断保留することが必要という解釈で良いのかどうか、なんとも言えません。
ここまでは本書を読んだ中での私の感想ですが、「不可知論」という言葉を調べてみると「物事の本質は『我々には知り得ず認識することが不可能である。』とする立場のこと。」とありました。これは本書からの引用とほぼ同じ意味です。なんていうか、謙虚な印象があって、個人的には好感が持てます。英語ではagnosticismになるそうですが、これはイギリスの生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリーが自分の立場を言い表すために用いられ始めた表現だということです。
「不可知論」がキーワードだと思って、ここまで書いてみましたが、ちょっと進まなそうなので、Amazonで「不可知論」と検索してみると、そのものズバリという書籍はありませんでした。「懐疑主義」というタイトルの本があり、 「不可知論」のwikipedeiaの関連項目にも「懐疑主義」がありました。この「懐疑主義」はピュロンの思想から始まり、「不可知論」はピュロン主義と対立するものとありましたが、今一つ関連性が理解できませんでした。
とっても難しいのですが、「不可知論」を意識しながら、「執行草舟の視線」を再読してみるべきかなと思いました。