追悼演説
衆議院本会議で、立憲民主党の野田佳彦元首相が7月の参院選演説中に暗殺された安倍晋三元首相への追悼演説を行いました。恥ずかしながら、追悼演説なんていうものを知りませんでした。物故者となった現職国会議員を追悼するための演説ですが、衆議院では追悼演説、参議院では哀悼演説と呼ばれるそうです。統一すればよいような気がしますが、どなたかが「参議院は独自色を出したがる」なんて言っており、こういうところがそうなのかなと少し腑に落ちました。
当初、自民党は、甘利明氏が追悼演説を行う方向で調整していたそうですが、党首経験者クラスの場合は対立政党党首が行うのが慣例として、立憲民主党からは再考を求められていました。立憲民主党が対立政党と言えるかどうかなんとも言えませんが、国葬には出ない、案内状に欠席と書いた写真をSNSにあげているような方々の誰が、追悼演説をするのやらという感じです。
そうした中で、野田佳彦元総理という人選はごもっともという感じですが、内容も素晴らしかったです。初当選同期でお互い首相経験者、語り草となる党首討論、「仇のような政敵」なんていう、言葉だけ聞いたらちょっと物騒な文言にも故人に対する強い思いが感じられました。皇居での親任式のエピソードも、総理を引き継いだ人間でしか話せませんから、聴けば聴くほど、野田元総理以外に適任はいないと思わされました。
自らの寝屋川での演説を引き合いに出して、「大失言」と謝罪もされていました。そうした失言が当時、取りざたされたのかどうか記憶にありませんが、わざわざ蒸し返して、自らの評価を下げる必要もないところだと思いますが、ご本人もどこかでお詫びし損ねたという悔恨の念があったのかもしれません。
「勝ちっぱなしはないでしょう。」も良かったですね。ここが一番印象に残りました。故人をリスペクトし、「まだ生きていてほしかった」という思いも連ね、挽回の機会を奪われた悔しさもにじみ出ているように思います。
国葬の出席表明も含めて、存在感が際立っているように思います。まだまだ65歳ですし、もう一度党首になっていただけないものかなんて思ってしまいました。