「執行草舟の視線」の難しい言葉 2
続きです。
「蠱惑」
「こわく」と読み、人の心を乱しまどわすこと、たぶらかすこと。
「弊衣破帽」
「へいいはぼう」と読み、身なりに気を遣わず、粗野でむさくるしいこと。あー、俺だ、、、でも、祖にして野ですが卑ではありません。
「陋巷」
「ろうこう」と読み、狭くきたない路地。貧しくむさくるしい裏町。
「破鏡」
「はきょう」と読み、割れた鏡の事。また、夫婦の別離、離婚のこと。後者は離れて暮らすことになった夫婦が、鏡を二つに割ってそれぞれの一片を持ち、愛情のあかしとしたが、妻が不義を働いたためにその一片がカササギとなって夫のところに舞い戻り、不義が知れて離縁になったという「神異経」の故事から来た意味だそうです。
「吶喊」
「とっかん」と読み、突撃に移る前に士気を高めるために、指揮者の合図に応じて声を大きく張り上げること。
「磔刑」
字面からは「はりつけの刑」だと思えますが、「たっけい」と読み、その通りのはりつけの刑でした。
「鬩ぎ合う」
「せめぎあう」と読み、互いに抗争して争うこと。よく聞く言葉ですが、漢字は初めて見ました。
「譬える」
「たとえる」と読み、ある事柄・物をわかりやすく説明するため、また、事物を生き生きと形容するために、それに似かよった物事を引き合いに出すこと。「例える」、「喩える」も同じ。
「鬼哭啾々」
「きこくしゅうしゅう」と読み、悲惨な死に方をした者のうかばれない亡霊の泣き声が、恨めしげに響くさまという意味です。
「哀切」
「あいせつ」と読み、身にしみ通って悲しいこと。
「加持」
「かじ」と読み、仏の加護のこと。また、密教で仏の慈悲の力が衆生に加わり、衆生がそれを信心によって受持し、仏と衆生とが相応すること。真言行者が、手に印を結び、口に真言を唱え、心を仏の境地におき、仏と一体になること。
「帰趨」
「きすう」と読み、ゆきつくところ、結局のところという意味です。
「卒啄の機」
「そったくのき」と読み、禅で、弟子が悟りを開くことができる段階に達したその瞬間に、師匠が悟りのきっかけを与えることのたとえ。転じて、ものごとを成し遂げるための、えがたいチャンスのたとえ。
「卷々」
本書では「けんけん」と振り仮名がありましたが、「卷々」で検索すると「まきまき」と出て来ました。「詠源氏物語卷々和歌」、「源氏物語の卷々」なんていう本があるようですが、詳細な意味については分かりませんでした。
今日はこのくらいで、また次回に続きます。