レ・ミゼラブル(一) 1

 ユーゴー作、豊島与志雄訳「レ・ミゼラブル(一)」を読みました。著者はフランスの小説家ですが、46歳で政治家に転身し、ナポレオンの弾圧対象となってベルギーへ亡命、本書はベルギーで完成されたそうです。大変有名な作品ですが、むかーしアニメでちょっと見た程度しか知りません。合唱団で「民衆の歌が聞こえるか?」を歌うことになったので、その時に本書全四巻を購入しておりました。しかし、あまりの厚さに逡巡して、積読となり、先日の合唱団のコンサートで「One Day More」を歌うことになったので、今度こそ読もうと思ったのですが、コンサート前に一巻さえも読み終わらず、ようやくの読破となりました。カーネギー行く前に全四巻を読み終えたいなと思います。

 まずはミリエル司教がどれだけ素晴らしい人かという紹介です。ミリエル司教が、罪を犯したジャン・バル・ジャンを許すという漠然とした印象を持っていたのですが、中々ジャン・バル・ジャンが登場しないのでじれったくなりました。しないのですが、この司教の素晴らしさがよく分かりました。司教の務めは担当地域の巡回ですが、その地域の一部の山中に、壊滅されされた山賊のリーダーが逃げ込んだという情報が入りました。司教は周囲の方に巡回を止められますが、「私がこの世にいるのは、自分の生命を守るためではなくて、人々の魂を守らんがためです。」と聞き入れず、警護の憲兵もつけずに案内役の方と2人で出かけてしまうのでした。

 司教には、出世して収入も増えて、若い司教が周囲に集まるような成功者と言えるような方がいるのですが、ミリエル司教はそんな成功に目もくれず、謙譲で貧しい生活を続け、若い司教が集まらず孤独だったと言います。著者は「成功とは嫌悪すべきことである。真の価値と誤られ易いその類似は人を惑わす。群衆に対しては、成功をほとんど優越と同じ面影を有する。才能の類似者たる成功は一つの妄信者を持つ。」と書いています。何をして成功というかは別として、稲盛塾長のおっしゃる「成功こそ試練」と同様の意味ではないかと思います。

 第二編に入るといよいよジャン・バル・ジャンの登場です。彼はかつてパンを盗んだ罪で投獄され、何度も脱獄を繰り返すも失敗し、伸びに伸びた刑期をようやく終えて娑婆に出てきたのでした。しかしながら、犯罪者であったことが広まっており、どこの宿屋も入れてくれません。パンを盗んだだけ、と言ってしまうと良くないのですが、決してそれほど重くない罪に、これほどの仕打ちが付いて回るというのは、ちょっと現代では考えられません。しかし、当時はそうだったのでしょう。

 ちょっと長くなりましたので、明日に続きます。

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