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心の平静には絵を描くが一番

しばらく制作から離れて別のことをやっていたら、なんだか、自分が何のために生きているのやら分からなくなってきました。

それならば何か描こう、と考えたら、ポストカードぐらいしかこの現実世界になかったので、とりあえず描きました。

ウン、面白いじゃありませんか。

てか、特に作品の出来が良いなんていうのは、ありませんが、描くっていうのは楽しいものです。

時間にして30分も経過していませんが、落ち込みからは立ち直れてしまいました。

他人に観せるなどより、とにかく描くことが楽しいですね。

他の画家さんの芸術活動の動機は、人それぞれ違うのでしょうが、描くことが楽しいということには変わりはしないはずです。

予備校時代の先生に「神のように命令し、奴隷のように働け」と言われて絵の練習をしたものでした。

今わたしが、奴隷のような働き方をしているとすれば、油絵で筆を洗ったり、パレットを拭き上げたりすることでしょう。

具象画を描いている人って、奴隷のように働いているなどという意識は、あるのかな?

わたしからすると、外のものを再現すべく、丁寧に筆を重ねたりすることなど、面倒で面倒でたまりません。

なので風景も人物も描かない。

ただそれだけのようです。

外の物をなぞって、自分を表現するタイプじゃないだけでしょうね。

わたしは、大學へは學門を修める目的で進學しました。

そんなもん当たり前のはずなのに、どうやら一般の人は、良い仕事について良い収入を得る目的で進學なさっていたようです。

別にいいですが。

で、いざ大學に入って、何をしていたかというと、、、悩んでいました。

悩むなど暇人のすることです。

なにがしか方向が決まっていたら悩む必要はありません。

予備校までで、基礎は身について、さて、大學のカリキュラムで何を學んだのやら、、、

午前中はモデルとかあてがわれて描いて、午後は學科の勉強でしたね。

學科の勉強のほとんどすべてに興味がありませんでした。

単に単位を取るために机に座っていたようなものです。

絵のほうは、とうとう自分が何を表現するのが楽しいやら分からずじまいで卒業してしまいました。

今思い返せば、4年生の時、Y先生という担任から、「河野は形を生み出す才能がある」と言われたこと。

たったそれだけのことで、わたしは大學に通った価値があったと思うことができます。

自分のスタイルが決まったのは、35歳の時でした。

長い時間がかかったものです。

今も、まだ画家としてはスタート地点に立ったくらいのものです。

それで良いと思います。

一歩踏み出せたという実感があれば、もう人生の成功は掴んだもの同然です。

評価は他人様がするものです。

わたしはクレーやゴッホのように、自分の好きなように描きます。

ピカソや村上隆さんのように、世渡りして名声をコントロールなどできません。

ゴッホは死んでから、クレーは図らずも名声を得ました。

そんな人生でいいんじゃないでしょうかね。

なんとか賞など、取れるようない絵でもないし、取りたいとも思いません。

今までの権威などというものが、すっかりあてにならないと感じています。

ただ、造形美のいろはは、修めているというだけのこと。

わたしはそれだけを拠り所に、今のスタイルで制作しています。

不器用な生き方ですが、結構氣に入っています。

自分の周りがどうなっていくのか?

描いて時には、そんなことなどどうでも良い。

まぁ、あやうく落ち込みそうだったというお話しです。

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