暇で狂いそうになったので思いつきました
本を書こう。
ブログでは真意が伝わりづらいようだ。
ただし出版は、世界のゴタゴタが、ある程度落ち着いたあたりと決めている。
すなわち、今までいろんな人たちが正しいと思っていた価値のほとんどが、狂人たちに植え付けられた洗脳であったことに氣付いた後の、ピュアなハートを皆と共有したいためである。
わたしの肩書は藝術家である。
学歴や受賞歴などナンセンスである事は、今読んでいるあなたには伝わることだろう。
昔の総括なら、いろんな人たちが既に発信している頃だと思うので、その中でわたしごときがなにがしかの価値を提供できるかどうかは、今このボールペンを滑らせている時点ではよくわかっていない。
いきなりフリーズしてしまいそうだが、なんとか考えてみよう。
食品添加物が余計なものだったということ位は、もうお氣付きのはず。
フリーエネルギーも、普通のはず。
物欲にも、ケリがついているはず。
肝心要は、お上が必要でなくなったということだろう。
わたしは長くサラリーマンをやってきて、出世競争などからは、いつも外れていた。
生涯平社員で居直る決心がついたのは、還暦を過ぎてからだ。
出世競争に乗らないと決めたら、役職者やトップとも、人対人のお付き合いが出来るようになった。
それもつかの間、労働力を提供して糧を得るのを卒業してしまった。
警備員の現場は、共同作業である。
その中でもリーダーを決めておかないと、ユーザの要望の伝達や、道路事情に沿った仲間の割り振りなど、こんがらがってしまう。
1度、2級の資格を取らないかと言われたのだが、わたしは人に指示するような柄じゃじゃないからと、お断りさせてもらった。
何にしても、人が同じ目標のもと集まって、それを果たす時、リーダー、サブ、その他は、この新しい時代になっても変わらないと思う。
偉くもなんとも無い。
ただの役割に過ぎない。
そんなものが大きくなると、企業だったり、国家だったりするだけなのだが、そこに「権力」だとか、「報酬の差」だとか、そんなものなくても良いのだ。
むしろ最前線の駒のほうが、目的遂行の最も重要なポジションだ。当然。
出世すると給料が上がる。
出席すると威張れる。
早い話がその二つだろう。
出世って、組織を俯瞰できるという能力がある人のための言葉にすぎない。
人より良い暮らしができる?良い暮らしってなんなんだ?
ベンツか?マンチンみたいな屋敷か?
それとも、下々の連中をアゴたんで自分の意のままにできるなどという勘違いのことか?
全て虚しい。
比較することこそ不しあわせの元凶だ。
昔のおっかさんは知っていた。
「よそはよそ、うちはうち」
今日はここまで。
ていうか、昔の総括で終わってしまった。
新しい時代って、どんなだろう?
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