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過去の苦難、鬱、自殺未遂を乗り越えて会社を作った経緯と想い

幸せな家庭があるのは当たり前じゃない
仕事が出来るのも当たり前じゃない。
今生きている事も当たり前じゃない。
この記事を読んでくれた方々に
普段目を向けれてない事にも感謝して、目の前の人を大切にしてあげてほしい。そういう想いで投稿しました。

ざっと経歴

自分と母は父親からの虐待、中3まで続きストレスで幻覚症状、鬱発症により別居
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大学3回生、辛い想いをしてきた母親に生涯親孝行したい、この仕事で俺は成功してやる。と決め大学中退を決断
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トレーナーとしての経験を詰む為、上京費を貯める為に1年間週7でフィットネスジムとラーメン屋でアルバイト
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1年後、RIZAP株式会社に入社、このタイミングで上京
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入社1年目、目標としていた業績 日本1を達成
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起業→株式会社 EMOTION 設立


25年、自分のこれまでの人生を振り返ると
「壮絶、苦難」これに尽きるなーと思う。
自分は物心付く頃から元父親から虐待を受けていた。

楽しかった思い出なんか何も残っていない、思い出したくもない。

ほぼ毎日自分と母は元父から暴力を受ける毎日。
元父が仕事で家に帰ってこない日は母、妹と3人で今日学校であった出来事、友達と何をしてきたとか楽しく笑いながら談話していた。
その時間が唯一幸せな時間だった。

あいつさえいなければ、もう帰って来なければ良いのに、このまま消えてしまえば良いのに。

本気でそう願っていた。

でも元父親が帰ってきたら全員沈黙、さらには暴力の繰り返し、毎日生きた心地がしなかった。

家にはできるだけ帰りたくないから
学校が終わったらできるだけ友達と遊ぶ約束をして遅く帰るようにしていた。

学校が唯一自分の心の拠り所だった。

でも門限は16時。1秒でも帰る時間が遅れたらボコボコに殴られていた。
友達の家に遊びに行く時は
友達の名前、人数、性別、友達の住所、何時何分に家に帰って来るかを報告しなければいけなかった。
ひどい時は髪を掴まれて湯船に頭を沈められ窒息死しそうになり「ごめんなさい許して下さい」と泣きながら謝っていた。
ほぼ毎日見る夢は父親を殺す夢。
父親を殺して自分も死んでやろうと
寝てる父親の寝床まで包丁を持って何度も行った事もある。

でもまだ自分が暴力を受けることは耐えれた。
ただ母が殴られるのだけは耐えられなかった。
止めたいけど怖くてただ震えて見ているだけ。そんな弱い自分さえも嫌いになりそうだった。

そんなこんなで限界がきた。

母への暴力がなくなるのはもう1つしかない。
自分が犠牲になって自殺すれば
元父はきっと、自分のしている事の重大さに気付くはず、そうすれば母への暴力はなくなる。
そう思って道路に飛び出して死のうと思った。
もちろんそれを見た母には止められた。

「何でそんなことするの!!!」と母にめちゃくちゃ怒鳴られた。

「俺が死んだらママへの暴力は無くなると思って、ママと愛(妹)は幸せになれるかなと思って。」

母はその場で崩れ落ちて号泣した。「あんな奴と結婚してごめんね。でもママだけはたかひろと愛ちゃん(妹)の味方やからね、ママが絶対に守るから。」と言ってくれた。今でもこれは鮮明に覚えている。
思い出す度に心が苦しくなるし涙が出る。

だがその状況を元父に伝えても何も変わらなかった。

それから束縛、暴力がずっと続き
もう限界を超えてついに幻覚症状が見え始めた。
それは元父に殺される幻覚。

夜中3時にその幻覚を見出して今まで出したことのないような、近隣の人達が目覚めるくらいの大声で発狂していた。
それが1時間続いて気絶。目が覚めたら病院にいた。

もうたかひろくんが危ないと周りが判断してようやく別居した。よくここまで耐えれたなと思う。

高校1年生からは父親のいない母、妹、祖父、祖母との生活が始まった。
それからは本当に幸せだった。毎日家に帰ることが楽しみだった。こんな感情初めてだった。

これが一生続けば良いのに、本気でそう思った。

高校生活も本当に楽しかった。
裁判にも勝って、無事離婚もできた。

母と妹を守れる強い男になりたい。
そう思い高校からの部活はアメフト部を選んだ。
筋トレを通して、今までになかった自信が出てきた。
ここでトレーニングの重要性に気づけた。

なんだかんだこの幸せな生活が続き大学にも行かせてもらい、気付けばもう3回生。
楽しい時間は本当にあっという間なんだと感じた。
別居してからの6年間あっという間だった。

大学3回生といえば、就活だ。

そこで自分の今後の人生について初めてしっかり考えた。
俺はこれから好きな仕事をして、結婚してやっと本当に幸せになれる。

でも何かが気掛かりだった。それは自分を産んで育ててくれた母親の存在。

俺は幸せになっても、きっと母親は
「もっと良い人と結婚して違う家庭だったら。もっと違う人生を歩みたかった。」と天国に行く時後悔するんじゃないのか。

母親に「この人生で良かった。」と思わせられるのは長男である俺しかいない。

生活費を稼ぐ為に休み無しで毎日働いて
時間がある時は内職をして自分と妹のお小遣いを稼いでいた母親。

そんな母親に俺ができることは
会社員ではなく、自分の会社を作って影響力、力を持って今まで苦労掛けた母を一生楽させる、好きな所に連れて行って好きな物を買ってあげたりする事。

そしてゆくゆくは自分も家庭を持ってその家族を世界一幸せにする。それが俺の存在意義、存在価値だと。

そう思った次の日には大学を辞めていた。

そこから会社を立ち上げるまでの2年間、本当にあっという間だった。

ありがたいことに自分は周りに恵まれていた。

本気で応援してくれる友達、きつい時には救いの手を差し伸べてくれる仲間達、自分について来て下さるお客様方。

僕の25年間の半分はもう死んでいたも同然。
本当に生きた心地がしなかった。

でもここまで毎日楽しく、幸せに生きれているのは家族、仲間、お客様がいるから。

だからこそ僕は一生掛けて恩返ししていきたい。

事業は自身の成功体験を得て選定した
パーソナルトレーニング事業とコーチング事業
この2つは人の人生を変えれる力を持っていると確信している。

感動を共有し、届け続けるという理念を持ち会社名をEMOTIONにした。

妥協なんてできない、走り続ける、必ず夢を叶える。

僕の想いを乗せたサービス(フィットネス、コーチング)を通して家族、仲間、お客様を幸せにする。

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