イエス・キリストを信じ生まれ変わるということは今迄の生き方を根底から引っくり返すようなものです。イエスがこの教えを説いた前日に"5千人の男たちに大麦のパン5つと魚2匹を与え、人々が満腹した後無駄のないようにと集めさせられたパンの端切れで12の籠がいっぱいとなった"と言う有名な聖書の箇所があります。
この箇所だけを読めば奇跡を起こされた。となりますが重要な教えをされるための布石だったのです。
ここに出てくる"あなたがた"や"彼ら"は前日パンと魚で満ち足り、イスラエルの民がかつて荒の野で天からのパンであるマンナ(注1)によって養われたことを引き合いに出し、自分たちをいつも物質的に満たしてくれるパンを主イエスに求めたのです。
人々の心にあったのは信じるためのしるしを求めることで、だからこそイエスは「パンを食べて満腹したからだ。」と言われたのです。
肉体を持つ人間は「パン」によって養われる必要があることを主は勿論ご存知です。しかしパン「だけ」によって生きる生き方は決して満足することはなく、絶えず次のパンを求め続けるしかないのです。
「命のパン」であるイエス・キリストを信じ、神との関係に生きることです。主イエスはご自分のもとに来る者は 「決して飢えることがなく決して渇くことがない」と言われています。
イエス様のもとに行くということは、『食べてから信じる』から『イエス様を信じて食べる』事です。
そしてイエス様は復活された後弟子のトマスにこのように告げられました。
『見たから信じるもの』より『見ずに信じる人は幸い』であると言われているのです。
現代でも多くの人が物質的なパンは求め、永遠の命のパン、イエス・キリストを求める人は少ないのです。しかし、心から求める人を主イエスは豊かに祝福して下さいます。
主イエス・キリストを信じ、御言葉をいただくことが肝要です。そしてはじめて、主イエスに在って新しく創造されることであり、神の永遠の命に生かされるものに生まれ変わることができるのです。
注2 パンだけでは生きるものではない。
※聖書の箇所は新共同訳よりの引用となります。
※あくまでも個人で書いておりますので牧師、神父また宣教師の皆様と異なる点があると存じますがご了承の上お読みください。