私は人のあら捜しをしているかのようにツイッターなどで批判をしてきました。それが貧困者を救う唯一の方法であり、それが正しいとされれば 人を軽んじる人たちに復讐になる。それこそが正しいと思っていたからです。
舌(SNSなどを含み)を制御せず平気で悪口を吐き、その報いとして人々から蔑まれました。
この世界でもこれほどの報いがあります。
罪を告白し、悔い改めていなければ
主の前に立ち裁きを受けるときにはどれほどのことが起きるでしょうか。
きっと神の仕事を奪おうとした罪も加算されます。
SNSやホームページ、新しいツールが増えるにともない人々は過去とは違う舌を手に入れました。そして自分の舌をも制御できない我々に、どうやってSNSを制御出来ましょうか。
ヤコブの手紙3章10節にはこうあります。
では明らかに正しくないものはどうすればよいでしょうか。祈りましょう。相手の方のために、たとえ殺人犯であっても人です。神の被造物であり我々と同じ様に神から愛されています。
だからこそ祈りましょう。