恐れるお方、畏れるお方
聖書箇所
恐れてはならない
私たちは様々な事を恐れます。それに対してイエス様は、「体を殺しても、それ以上何もできない」と言われています。
「体を殺しても、その後それ以上何もできない者ども」というのは人間のことで、ファリサイ派、及び律法学者との会話によって、ファリサイ派と律法学者たちが、イエス様に対して激しい敵意を抱いていた事と関係しています。
イエス様が迫害をされ、やがては弟子達も迫害をされるようになる。その事を見越して言われたことだと考えられます。
体を殺されるということは、「死ぬ」ということです。それを私たちは、もっとも恐れます。しかしイエス様は、それを恐れる必要はないと言われています。
何故でしょうか?
※激しい敵意…ルカによる福音書 11章53節
恐れるべきお方
答えは「恐れ」を抱くべき方は他にいるからです。
5節でイエス様は、「殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。」「この方を恐れなさい。」と言われています。神様のことです。
地獄(ゲヘナ、ギリシャ語Gehenna)とは「ヒノム(ヒンノム)の谷」を意味するヘブライ語に由来しているそうです。
イエス様の誕生以前から、ユダヤ教のラビの中には「邪悪な人が死後に行く場所は、燃え盛るヒノムの谷のようである」と言う者もいたと言います。(新共同訳聖書 スタディー版 改訂版 日本聖書協会より)
本当に恐ろしいことであるに違いありません。
ここでは弟子たちに語っていますが、イエス様は「友人であるあなたがた」と言われています。
恐れる から 畏れる
それは友人であるからこそ本当のことが言える。弟子としてではなく友人として話してくださったことに違いありません。
神様は私達の肉体の死後、地獄に落とす権威を持たれています。しかし、永遠の天の御国に迎え入れてくださるのもまた神様です。
6節7節では神様の慈愛が書かれています。
五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。とイエス様は言っておられます。
1アサリオンは労働者の日給の16分の1程度ですから1羽あたり今の価格でおおよそ200円〜位になります。安いために当時の一般の人々にも買えたものです。
そんな雀ですから死のうが生きようが、誰も気にも留めません。しかし、そんな雀の1羽でさえ神様は覚えていてくださいます。
7節では「それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」とイエス様は教えて下さいます。
不信仰な私達が、雀よりも勝っているのだから恐れることはない。イエス様は言ってくださいました。
神様の慈愛が分かります。そのような神様に対して敬い、つつしんだ態度になるのは自然ではないでしょうか。
常に、つつしんだ態度で様々なことにのぞめば人を馬鹿にすることも、陰口を言うことも無くなるのではないでしょうか。それは無駄に罪を犯すことがないことを意味します。
愛する天の父なる神様が、このような私達でさえ覚えていてくださっていることを信じます。そして弱い私達が世の人々を恐れずに、大胆に伝え、神様を畏れる事が出来るように変えてくださることを主イエス・キリストの御名を通してお祈りします。 アーメン
※ 1アサリオンは2022年東京都の最低賃金(時給)¥1,072.-をもとに計算いたしました。
※ 私が主日礼拝や聖書勉強会で学び、メモをとり、ノートにまとめた内容を清書しています。そのため間違っていることもあるかと存じますのでご了承ください。