プライドを捨てて生きる 【本質的な幸せを手にするため】
人間は誰しもプライドを持って生きている。
「他人になめられたくない」とか「人からすごいと思われたい」とか。
いわゆる「承認欲求」も広義のプライドに当てはまるものだと思う。
しかし、そんなものはないほうが人生を豊かにできる。
今回はプライドについての考察。
なぜプライドを捨てると人生が豊かになるのか?
答えは簡単で「他人視点で生きることをやめられる」からである。
ある種プライドをもつことはモチベーションを保つ効果があるといえる。
人に負けたくないから頑張れる。
しかし、どこまでいってもそれは「他人と比較した自分」の姿を追いかけている。
それではどこまでいっても上には上がいるし、比較を続けている限り他人を上に見たり下に見たりすることになる。
たとえば「自分とは関係のない他人に自分の話し方を注意された」とする。
そこで「こんな人に言われる筋合いはない」と思って感情的になってしまってはいけない。
なぜならそれは「言われた相手に格下にみられたくない」という心理の裏返しだからである。
つまりそれは「言われた相手を格下にみようとする」自分のプライドがそうさせていることになる。
だが、本来自分が考察しなければいけないのは「言われた内容を自分がどうとらえるか」のはず。
今回の例でいうと「誰に言われたか」でなく「自分の話し方」のはず。
注意されたことを振り返ってみて「自分の話し方に問題がある」と思えば自分で改善すればいいし「問題がない」と思えば気にせず無視すればいい。
つまり「なんでこんな人に」と思った時点で問題提起の本質からずれている。
プライドを捨てると問題の本質を追いやすい
じゃあなぜ「誰に言われたか」を気にしてしまうのかと言うと自分にプライドがあるからである。
自分は「完璧な人間」や「優れている」と思う気持ちが強いほど誰に言われるかということをいちいち気にしなければいけなくなる。
なぜなら「完璧」も「優れている」も他人と比較した自己評価だから。
つまり「完璧」や「優れている」ためには他人を否定しなければならないのである。
しかしそれではいつまでたっても問題の本質に近づけない。
あらゆるアドバイスを咀嚼して自分の糧にしていくのがもっとも自分にとってプラスのはずである。
そのためにも余計なプライドは持たないほうが良い。
誰に言われるかを気にするぐらいなら自分を優れていると思わないほうがよっぽど生きやすい。
まとめ
「誰に言われたか」ではなく「言われた内容を自分で考える」ことを意識する。
そのために余計なプライドは捨てて他人との比較に一喜一憂しない。
自分は自分のために行動するべきである。
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