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ひきこもりおじいさん#56 手紙

『初めまして。北海道・函館市在住の蒼山八重子といいます。いつも楽しくザ・ラジオショーを聴いています。
早速ですが、今回手紙を書いたのは、先週お助け奉行のコーナーで取り上げていたラジオネーム・信ちゃんさんの葉書の「西雲閣」と「さっちゃん」について、もしかしたら私の過去の記憶が少しでも役に立つのではないかと思い筆をとった次第です。
先ず西雲閣についてですが、私は今から六十五年程前に家族で上野・池之端に住んでおりました。葉書のお店も七十年前に池之端にあったということでしたので、時期的な面から考えても、私の記憶している西雲閣は、葉書のお店と同一である可能性が高いと思います。また私の幼少期の上野は、平和記念東京博覧会という大きな催しが上野公園から不忍池一帯で開催されるなど、戦前の東京の中でも人が大勢集まり賑わう場所になっておりました。ですので地理的な面からも当時の上野には多くの飲食店が集まっていたのです。そして、その中でも西雲閣は、江戸料理の有名店として広く人々に知られて繁盛しており、大きな三階建てのお店と毎夜そこから聞こえる客の喚声が私の耳に今でも残っております。特に当時は外食など本当に特別な時にしか行くことが出来なかったので、年に数回、父に連れられ家族で西雲閣に食事に行く際など、前日から興奮して寝つけなかったことも懐かしい思い出です。沢山の女給さんが賑やかな客で溢れる広い座敷内を所狭しと駆け回りながら、料理やお酒を運んでいく姿やお座敷の窓から見える不忍池一帯の夜景などは歳月を重ねても私の脳裏に未だに深く残っております。
次にさっちゃんについてです。実は当時私の住んでいた家が西雲閣の近所だったことから、家族ぐるみで西雲閣の主人とその家族とも交流があったのです。特にその中でも比較的歳の近い男の子とは、同じ学校でもあり、二歳上の姉と共に仲良くなり、よく一緒に勉強したり、上野公園に遊びに行ったりしておりました。振り返れば懐かしい思い出が沢山あるのですが、その時、私たちは姉のことをさっちゃんと呼んでいたのです。
長くなりましたが、こんな事から私は今回、ラジオで依頼の葉書を聴いたとき、直感的にこのさっちゃんは、姉の幸恵のことではないかと思い至った次第です。ただ、今申し上げたことは、全て私の古い記憶の中の出来事であり、何の根拠もごさいません。なのでラジオネーム・信ちゃんさんのお役に立つかどうか自信はありませんが、少しでもこの手紙がご依頼の助力になることを願っております』

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