現代における近代短歌の読み ―斎藤茂吉短歌を例に―
第41回現代短歌評論賞応募論文
課題:「〈現代短歌の当面する問題〉に関し論題自由」
現代における近代短歌の読み
―斎藤茂吉短歌を例に― / 高橋 良
第41回現代短歌評論賞候補作(三枝昻之◯)
※ 公開にあたっては、Microsoft Wordの縦書き形式(メール応募時はPDF形式)から、noteの横書きの形式(Androidスマートフォン編集)に切り替えている。空白行はnoteの形式により生じているものであり、応募論文では改行箇所の空白行は、ない。応募論文における誤字や異体字を一部改変している。また、応募論文において、ルビと傍点は、縦書きの語句の右側に添えていたが、noteでは対象となる語句の直後の( )内に入れている。
斎藤茂吉(一八八二~一九五三)の短歌は、現在でも多くの読者に親しまれている。しかし、時代の変化とともに茂吉短歌の読みは移り変わってきているはずだ。
一 従来の茂吉短歌の読み
川野里子は、茂吉短歌の読みについて、花山周子、大辻隆弘との鼎談の中で、
茂吉に関してそろそろ「第三の読み」が出て来ていいんじゃないか。テキスト論と人物論の間があるはずだという気がしているんです。
〔「鼎談 茂吉と佐太郎の読まれ方の今」「歌壇」二〇一九年十二月号、三十九頁〕
と述べていた。これは、読みの手法の問題である。本稿では、茂吉短歌の読みの手法の実際を見ていき、新たな読みの手法を探っていこうと思う。
一.一 〈人物論〉
川野は、「茂吉研究者は人物と背景〔……〕存在感の面白さというものに引きつけられて」(同、三十八頁)きたとも述べている。生い立ちや性格に目を向ける〈人物論〉で茂吉短歌は大いに読まれてきた。本稿では、読みの手法の違いに焦点を絞るために、茂吉短歌一首をめぐるさまざまな文章を取り扱う。
赤(あか)茄子(なす)の腐れてゐたるところより幾程(いくほど)もなき歩みなりけり
〔一九一ニ年作、『赤光』所収、全集1〕
についての論評を見ていく。ではまず、〈人物論〉の例を見てみよう。
トマトの腐れていた場所を、作者は「これは東京の郊外で作つた」(「作歌四十年」)といっているが、あるいは巣鴨病院の構内で、患者の作業として作っている畑であったかもしれない。
〔佐藤佐太郎『茂吉秀歌 上巻』[一九七八年]二〇一三年、引用者傍線〕
佐太郎は、「作者」という語を使用している。これは、『赤光』の作者である斎藤茂吉を指すと同時に、その茂吉は「作歌四十年」(一九四二・一九四四年執筆、全集10)の筆者でもあるということが踏まえられているだろう。
「東京の郊外」(「作歌四十年」前掲)という言葉から、佐太郎は「巣鴨病院の構内で、患者の作業として作っている畑」(『茂吉秀歌 上巻』前掲)と推測している。一九一二年当時の茂吉が東京帝国大学医科大学助手として東京府巣鴨病院に勤務していたという事実を踏まえている。この箇所で佐太郎は、茂吉の背景情報を踏まえ、一首を形あるものとして捉えようとしている。
一.二 〈テキスト論〉
〈テキスト論〉について、大辻は、
茂吉は人物が面白いし、非常に不思議ですごく魅力的だから、研究者としてはそういうところを掘り下げたいのはわかる。〔……〕小池光の『茂吉を読む』や玉城徹の『茂吉の方法』は、そういうところから一歩引いて、助詞の使い方などに注目して一首一首、茂吉をテキスト論的に読んでいった本。
〔「歌壇」前掲、引用者傍線〕
と述べていた。〈テキスト論〉とは、テクスト理論 (Théorie du Texte) とも呼ばれるが、旧来の「読まれるべき意味、字義と作者の意図に基づいた規範的な意味の同定と維持」(大浦康介「テクスト」『集英社世界文学大辞典5事項』五四五頁)への批判であった。「意味の安定性への信頼」(同)への批判として、「文学研究の磁場を作家個人の出自と実体験およびその反映としての作品、すなわち伝記批評のいう〈人と作品〉から〈テクスト〉へと移行させる」(同)ことを旨とする理論である。ここで言う〈テクスト〉というのは、「言語的意味生成」(同)であり、「意味の生産(の運動)そのもの」(同)である。これと「対極にあるのは〔……〕〈作品〉」(同)である。〈テキスト論〉は一九七〇年前後のフランスに発したが、その担い手の一人である批評家ロラン・バルトは、作品とテキストとをそれぞれ次のように説明している。
si l’œuvre peut être définie en termes hétérogènes au langage[…], le texte, lui, reste de part en part homogène au langage:
[Roland Barthes, Text (Théorie du), dans Encyclopædia Universalis, Corpus 22. Tacite-trust, Encyclopædia Universalis France, 1989-1990,p. 373.]
(もし作品を言語とは異質の表現と定義しうるならば〔……〕、テキストは徹頭徹尾、言語と同質のものであるということになる。)〔筆者訳〕
先の佐太郎の〈人物論〉に話を戻せば、「赤茄子の」の歌という作品について、「東京の郊外」という作者の意図に基づいて規範的な意味の同定をすべく「巣鴨病院の構内で、患者の作業として作っている畑」という推測を提示しているのだ。一方、茂吉の死後に成立した〈テキスト論〉とは、言語自体がどのような意味を生み出しているかに目を向けるという読みの手法ということになる。
「赤茄子の」の歌を〈テキスト論〉で読んだ例としては、大辻も挙げていた玉城徹『茂吉の方法』がある。そこでは「赤茄子の」の歌について、
イメージと、腐ったトマトとの関係が、象徴とはちがう、偶然の衝撃でむすびついているところに面白味があるのだ。〔…/…〕何でもかまわぬが、それが、トマトを道べに見ていくばくもたたなかったということに詠嘆をしぼっているからである。〔……〕言わないから、そこに不透明な厚みが生まれているのである。その厚みとは、思想的厚みでもなく、作者の人間からくる厚みでもないことはもちろんである。
〔玉城徹『茂吉の方法』一九七九年、二十五~二十六頁、引用者傍線〕
と書かれている。佐太郎(『茂吉秀歌 上巻』前掲)同様、「作者」という語を用いてはいるが、《茂吉自身の「作歌四十年」の自釈をば、できるだけ引用しない方針である》(『茂吉の方法』前掲、二十六頁)と述べている通り、ここでの「作者」はあくまでも『赤光』の作者を指すにとどまるのである。
玉城は《「茂吉の方法」 後記》で『茂吉の方法』自体について、次のようにも宣言している。
これは、方法の書である。〔……〕あるいは、次のように言った方が正確かもしれない、茂吉の作品を通して、「短歌の方法」を探究しようとしたのだと。だから、〔……〕わたしが観察しようとするのは、歌人茂吉ではなく、純粋に作品のみである。
したがって、〔……〕茂吉自身の手になる「作歌四十年」、佐藤佐太郎の「茂吉の秀歌」も、考慮に入れぬこととする。
〔『茂吉の方法』前掲、二三六頁、引用者傍線〕
「茂吉の秀歌」というのは、『茂吉の方法』に先んじて出版された佐太郎『茂吉秀歌』上巻・下巻のことであろう。先に見た通り、佐太郎の『茂吉秀歌』では「作歌四十年」(前掲)も参照しながら〈人物論〉で茂吉短歌を読み解いていることが多い。それに対して、玉城は「純粋に作品のみ」つまり、短歌自体を「観察」しようと努めたということである。「作品」という語を使ってはいるが、それをテキストと読み替えれば、まさに〈テキスト論〉で茂吉短歌を読み解こうとした文章であることがわかる。
一.三 《「第三の読み」》
冒頭に引用した川野の発言の中の《「第三の読み」》つまり「テキスト論と人物論の間」とは、どのようなものだろうか。ここでは、品田悦一『斎藤茂吉 異形の短歌』(二〇一四年)に見られる《「第三の読み」》を紹介したい。しかし、ここでの品田の基本姿勢は〈テキスト論〉での読みである。
短歌もテキストである以上、一首の短歌から読み取れる心情とは、直接にはその一首に書き込まれた心情でなくてはなりません。それは誰の心情かといえば、テキストを叙述する話者(﹅﹅)(「語り手」「叙述主体」とも)か、またはテキストの中で活動する主人公(﹅﹅﹅)(「中心人物」「作中人物」とも)か、このどちらかです。両者ともテキストの構成要素であり、テキスト内に設定された存在であって、テキストを作り出す作者(﹅﹅)(「創作主体」とも)とは身分が違います。
〔品田悦一『斎藤茂吉 異形の短歌』二〇一四年、一一八頁、傍点原文〕
こう断ったうえで、茂吉の五十九首の連作「死にたまふ母」の読みにおいては、作者の情報を一部取り入れている。この点で「テキスト論と人物論の間」の《「第三の読み」》であると言える。これには、「自己表白の文芸として発展してきた近代短歌」(同、一一九頁)の、特に茂吉の短歌の多くにおいて、「作者の分身のように振舞う話者が、同時に主人公の役をも兼ねている」(同)ということが関わっているようだ。さらには、「テキストとしての読みをストイックに厳格化すれば、理解の手がかりは五九首の短歌だけに限定されなくてはなりませんが、実はこの方針は、豊かな読みが導けないという意味であまり生産的でありません。」(同、一二四頁)とも指摘している。
では、「赤茄子の」の歌については、どのように読んでいるだろうか。
「赤茄子」「腐れて」と一般的でない措辞が据えられていて、読者の注意を引きつけます。そのとき自然に成立する了解は、作中の話者/主人公〔……〕も「赤茄子の腐れてゐたる」光景に注目しているというものでしょう。続く第三句には「ところより(﹅﹅)」とありますから、赤茄子のありかを起点として何かが起こったらしいとの予想が、これも自然に導かれてくるはずです。ところが最後まで読み進めると、問題の場所を話者/主人公はもう通り過ぎていたということが明かされる。何事も持ち上がりはしなかったのです。
〔『斎藤茂吉 異形の短歌』前掲、二十二頁、引用者傍線、傍点原文〕
「作中の話者/主人公」という評語の使用が彼の〈テキスト論〉での読みの特徴である。構造として上句と下句とに分解し、一首のうちに物語的な展開を見出している。「作者」については触れず、「作中の話者/主人公」がどう見、どう感じたかということに注目している。
その上で茂吉の「写生」について考究した箇所で「赤茄子の」の歌にも触れており、これが間接的に〈人物論〉による読みとなっていると言える。少なくとも、《茂吉自身の「作歌四十年」の自釈をば、できるだけ引用しない方針である》(『茂吉の方法』前掲)と述べた玉城の立場とは異なっていることがわかる。「作歌四十年」(前掲)の、『斎藤茂吉 異形の短歌』の品田による引用箇所で重要な部分は次の通りである。
トマトが赤く熟して捨てられて居る、これは現実で即ち写生である。〔……〕併し結句に、『歩みなりけり』と詠歎してゐるのだから、その写象といふものには一種の感動が附帯してゐることが分かる。その抒情詩的特色をば、かういふ結句として表現せしめたものに相違ない。さういふのをも私は矢張り写生と云つて居る。写生を突きすすめて行けば象徴の城に到達するといふ考は、その頃から既にあつたことが分かる。この一首は今から顧てそんなに息張るほどのものではないが、兎も角記念として保存して置くのである。
〔「作歌四十年」前掲、引用者傍線〕
品田は、この自釈について《ただ一点、「写生を突きすすめて行けば象徴の域に到達する」との発言は本質的な面に届いています》(『斎藤茂吉 異形の短歌』前掲、五十ニ~五十三頁)と指摘したうえで、その考えが「その頃から既にあつたことが分かる」(「作歌四十年」前掲)というのは、「年代を遡らせての追認」(『斎藤茂吉 異形の短歌』前掲)であると述べている。品田は、「写生」を「現実の事物・事象を見慣れないものに変えてしまう技法―少なくともそういう可能性を潜在的に有した技法」(同)と定義する。ロシアの文芸批評家たちの用語になぞらえて「異化の歌境」(同、五十三頁)と名づけ、それが『赤光』で樹立されたのだと見なしている。これを《後年の茂吉が「写生」概念に回収しようとした》(同)ことが重要だというのだ。
このように、〈テキスト論〉をベースに据えて、〈人物論〉で参照されるような作者の情報もつき合わせて、短歌を多面的に捉えることが《「第三の読み」》なのであろう。このような読みの実践が積み重ねられていくことが今後期待される。
二 これからの茂吉短歌の読み
しかし、茂吉の短歌の読みは〈人物論〉と〈テキスト論〉と《「第三の読み」》だけなのだろうか。そこで、本邦最古の歌集「万葉集」の研究にヒントがあるのではないかと考えた。長年にわたり研究が積み重ねられてきた万葉集の、その読みは現在どのような段階にあるのだろうか。万葉学者の品田は、
比較文学的研究が始まった昭和三十年代のころから、『万葉集』は〔……〕中国六朝時代 (三世紀~六世紀)の詩文の影響をたくさん受けているのだ、ということが認識されるようになり、〔…/…〕それが今は、中国や台湾の研究院で、中国古典はことごとく電子化されていて、検索したい言葉を入力しさえすれば、過去何千年間に中国で書かれた書物のどこに出てくるかということがすぐ分かってしまうようになっています。〔…/…〕引き込まれた先行テキストを参照するとどういう読み方が成り立つか、つまり間テキスト性を探究するところまで研究のレベルが上がってきたのです。
〔品田悦一『万葉ポピュリズムを斬る』二〇二〇年、六十七頁〕
と述べている。「間テキスト性」というのは、«tout texte est un intertexte»(ibid, p. 372.)(あらゆるテキストに相互関連があり)〔筆者訳〕、«tout texte est un tissue nouveau de citations révolues.»(ibid.)(あらゆるテキストが過去の引用の独創的な織物である)〔同〕という考えである。これは、〈人物論〉による茂吉短歌の読みにおいてもすでに行われてきたことだ。『赤光』の連作「地獄極楽図」が正岡子規の短歌に感化されたものであるということがわかりやすい例だ(斎藤茂吉「書簡一」四〇、一九〇五年五月十四日、全集33)。また、一九一三年一月に発行された北原白秋『桐の花』と同年十月に発行された茂吉『赤光』とで共通の用語が現れていることについての指摘[1]は、時代背景を踏まえた〈人物論〉でもあるが、〈テキスト論〉寄りに進められた文章でも見られる。茂吉短歌に関する間テキスト性に着目した読み自体は、目新しいものではない。
先の引用(『万葉ポピュリズムを斬る』前掲)で注意したいのは、「中国古典はことごとく電子化されていて、検索したい言葉を入力しさえすれば、過去何千年間に中国で書かれた書物のどこに出てくるかということがすぐ分かってしまう」という部分だ。中国古典の電子化と日本古典和歌の電子化が進むことで、古典作品における比較文学研究は大いに進展していることだろう。ちなみに、万葉集、勅撰集から私家集に至るまでのいわゆる日本の古典和歌については、近代以降「国歌大観」という索引書に収められ、現代の「新編国歌大観 CⅮ-ROⅯ版」の登場により電子化が進んだ。また、各作品単位でも電子書籍で読めるようになっている。こうした電子化により、古典和歌研究に計量国語学や情報科学の知見が取り入れられ、研究が大きく前進している。例えば、日本古典作品間での比較については山崎真由美・他(一九九八年)による本歌取りの関係の発見があった。
しかし一方で、近代短歌の電子化は十分に進められていない。近代短歌と古典和歌との比較、近代短歌と中国古典との比較については、ある程度研究を進めやすいのだが、近代短歌間での比較については十分な検索ができず研究は進めづらくなる。
近代短歌の電子化の実際としては、「青空文庫」の公開や電子書籍の販売、村田祐菜・他による「近代短歌データベース[2]」の構築もあったが、それらは近代短歌を網羅的に収載したものではない。「青空文庫」で斎藤茂吉の歌集の公開は『つゆじも[3]』のみであるし、「近代短歌データベース」では二十五名の歌人の短歌の収載にとどまる。
一方で、「国立国会図書館デジタルコレクション」で約二四七万点[4]の資料が、「次世代デジタルライブラリー[5]」で「著作権の保護期間が満了した図書及び古典籍資料全部(約三十五万点)」(二〇二二年十一月一日時点)が全文検索可能となった。これらは順次全文検索可能な資料が追加される予定で、大いに期待できるものである。
このように、さまざまな単位で資料の電子化がなされているのだが、それぞれの検索機能には問題がある。例として、茂吉の短歌における「赤」の使用を調べた場合のことを挙げる。全十八歌集[6]収録の『斎藤茂吉全歌集』(やまとうたeブックス)は、Amazon Kindleでも楽天koboでも読める。それぞれの全文検索機能を使って、「赤」を検索すると、Kindleでは四三九の例が出てくるが、koboでは四四三の例が出てくる。両者で例の数に違いが出ているのは、「赤赤」という文字列を一と数えるか、ニと数えるかの違いがあるためである。「赤赤」という文字列の含まれる短歌が四例[7]あったのである。また、それぞれの全文検索では、「各歌集詳細目次一覧」などに含まれる字だけでなく、詞書や標題の字も数えられてしまっている。これは「青空文庫」の斎藤茂吉『つゆじも』の場合も同様である。一方、「近代短歌データベース」では、七〇の例しか出てこない。「青空文庫」で公開されている『つゆじも』の他、「近代短歌データベース」には収載されていない歌集があるためだ。ちなみに、「次世代デジタルライブラリー」の全文検索では、二文字以上のキーワードが対象なので、「赤」のような漢字一文字の検索はできない。
それぞれの電子化資料の特徴を把握したうえで、手作業も交えながら、調査していく必要があるのである。電子化にあたっては高精度のOCR(光学文字認識)が駆使されてはいるものの、その精度[8]は一〇〇%ではなく、間違いが含まれている可能性も踏まえなければならない。一例を挙げれば、『斎藤茂吉全歌集』(前掲)で『白き山』の一首[9]中の「金線草(みづひきぐさ)」の読みが「みづきひ(﹅﹅)ぐさ」となっているということがある。
問題点はあるが、うまく活用すれば、新たな発見にもつながる。筆者が「現代短歌」二〇二三年三月号で指摘したところを例に挙げる。茂吉の短歌には「赤」よりも「白」を使用した歌のほうが多くあるというものだ。塚本邦雄が「茂吉の原色愛好、殊に赤と黒の跳梁は、この歌集のみならず、生涯にわたつて注目すべきであらう」(『茂吉秀歌『赤光』百首』十六頁)と述べているように茂吉には「赤」のイメージが強くあるようである。『斎藤茂吉全歌集』(前掲)についてKindleとkoboとでそれぞれ全文検索し、主だった色名を表す漢字を検索すると、出現数[10]が最も多かったのは「白」であった。「白」の出現数は、「赤」の出現数の約ニ・三九倍であった。先に「赤」の全文検索結果を四四三(四三九)と述べたが、短歌での出現数は二三一[11]であったということだ。「赤」は『赤光』初版において最も多かったのであるが、十七歌集の「赤」の総出現数の約二十七・七%が『赤光』の用例であった。それに対し、「白」は『白き山』において最も多く出現し、十七歌集の「白」の総出現数五五二[12]のうちの約九・八%が『白き山』の用例であった。このように見ると、『赤光』において「赤」の使用が集中していることがわかる。『赤光』での「白」の出現数の約一・九四倍である。第ニ歌集『あらたま』以降の十四歌集(『ともしび』と『たかはら』を除く)で「白」の出現数が「赤」の出現数を少なくとも十首以上も上回っている。漢字の出現数の点だけで言えば、茂吉は『赤光』では「赤」の歌人と言えるが、十七歌集全体では「白」の歌人なのである。
歌集の電子化が充実することは、短歌の〈人物論〉、〈テキスト論〉、《「第三の読み」》というそれぞれの読みに幅・奥行きを持たせるだけでなく、分野横断的な読みの可能性をも引き出しうるだろう。
現代における古典和歌の研究では電子化資料を活用した分野横断的な研究が進んでいる。ここに茂吉短歌を含む近代短歌の研究の未来が見えるわけだが、これはひいては現代短歌の研究の未来をも見せてくれている。現代における歌集や歌書の電子書籍としての出版には、読む手段の多様さ・読むことの手軽さを提供するといったことだけでなく、それ自体が研究される対象として使い勝手のよいものとなるという利点もあるのである。短歌を読む側にも短歌を作る側にも電子化を有効活用する姿勢がいっそう求められてくるだろう。
[1] 小嶋孝三郎「初版「赤光」における茂吉の一用語」(一九五九年)や塚本邦雄『茂吉 秀歌『赤光』百首』([一九七七年]二〇一九年)。
[2] 「近代短歌データベース」村田祐菜 http://kindaitankadatabase.com/ 参照:二〇二三年六月三十日
[3] 斎藤茂吉『つゆじも』青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/56884_63901.html 参照:同六月三十日
[4] 「報道発表資料」国立国会図書館、二〇二二年十二月二十一日 https://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2022/__icsFiles/afieldfile/2022/12/21/pr221221_01_1.pdf 参照:同六月三十日
[5] 「次世代デジタルライブラリー」国立国会図書館 https://lab.ndl.go.jp/dl/ 参照:同六月三十日
[6] 斎藤茂吉の歌集数は十七とするのが通説であるが、『斎藤茂吉全歌集』(前掲)では決戦歌集『万軍』も含まれている。なお、第一歌集『赤光』は改選版と初版が共に収載されている。
[7] 「星のゐる夜ぞらのもとに赤赤、、とははそはの母は燃えゆきにけり」(一九一三年作、『赤光』所収、全集1、引用者傍点)は、改選版と初版のどちらでも見られる。
[8] 認識性能を評価するためのF値は「0から1の範囲を取り、1に近づくほど高い認識性能を表」すのであるが、約二四七万点の平均値は0.86であった。また、読み取り方向の性能評価指標は「対象画像のうち95%以上の画像の認識結果が正しい方向に読み取れていること」である。(「1 令和3年度デジタル化資料のOCRテキスト化」国立国会図書館 https://lab.ndl.go.jp/data_set/ocr/r3_text/ 参照:同六月三十日)
[9] 山中に金線草(みづひきぐさ)のにほへるを共に来(きた)りみてあやしまなくに (一九四六年作、『白き山』所収、全集3)
[10] 「赤赤」と「赤々」とが見られたので、「赤赤」については「赤々」同様、出現数一として数えた。詞書きや標題については対象とせず、短歌に出現した字のみを数えた。
[11] 「現代短歌」(前掲)で筆者は、三例の「赤赤」をそれぞれ二字分として数えていたので、 「二三四回」としていた。
[12] 「現代短歌」(同)で筆者は、『赤光』改選版の二十九例と『つきかげ』の詞書き一例も数え入れてしまっていたので、「五八二回」としていた。
【参考文献】
大浦康介「テクスト」『集英社世界文学大辞典5事項』集英社、一九九七年、五四四~ 五四五頁。
大辻隆弘、川野里子、花山周子「鼎談 茂吉と佐太郎の読まれ方の今」 「歌壇」二〇一九年十二月号、本阿弥書店、三十六~五十三頁。
小嶋孝三郎「初版「赤光」における茂吉の一用語」「論究日本文学」十一、 一九五九年、九十三~一〇〇頁。
斎藤茂吉「赤光」『斎藤茂吉全集 第一巻』岩波書店、一九七三年。
斎藤茂吉「白き山」『斎藤茂吉全集 第三巻』岩波書店、一九七四年。
斎藤茂吉「作歌四十年」『斎藤茂吉全集 第十巻』岩波書店、一九七三年。
斎藤茂吉「書簡一」『斎藤茂吉全集 第三十三巻』岩波書店、一九七四年。
斎藤茂吉著、水垣久編『斎藤茂吉全歌集』やまとうたeブックス、二〇一七年。
佐藤佐太郎『茂吉秀歌 上巻』岩波書店、[一九七八年]二〇一三年。
品田悦一『斎藤茂吉 あかあかと一本の道とほりたり』ミネルヴァ書房、 二〇一〇年。
品田悦一『斎藤茂吉 異形の短歌』新潮社、二〇一四年。
品田悦一『万葉ポピュリズムを斬る』講談社/短歌研究社、二〇二〇年。
高橋良・他「シェアしたい、茂吉のこの歌集」「現代短歌」二〇二三年三月号、 現代短歌社、二十四頁。
玉城徹『茂吉の方法』清水弘文堂、一九七九年。
塚本邦雄『茂吉秀歌『赤光』百首』講談社、[一九七七年]二〇一九年。
村田祐菜、永崎研宣、大向一輝「近代短歌全文テキストデータベースの構築」 日本デジタル・ヒューマニティーズ学会、三巻一号、二〇二二年、十七~二十六頁。
山崎真由美、竹田正幸、福田智子、南里一郎「和歌データベースからの類似歌の自動抽出」情報処理学会人文科学とコンピュータ研究会、四十八、一九九八年、 五十七~六十四頁。
Roland Barthes, Text (Théorie du), dans Encyclopædia Universalis, Corpus 22. Tacite-trust, Encyclopædia Universalis France, 1989-1990,pp. 370-374.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?