「日々の公演2」レポートその3
第三回
1月29日
役者役9人(代役2人)/観客役0人
+ 鈴木さん(生西さんは濃厚接触者になり欠席)
東京都の新規感染者数は1万7433人。
第6波がやってきて、東京の新型コロナ新規感染者数は週ごとに倍増していた。
自分は、年を越してから感染者数が増え続けているのを眺めながら、「早くワークショップ中止の連絡こねーかなー」と思っていた。
(コロナが流行りはじめた2020年3月。美学校で開催される予定だった吉田アミさんのイベントが中止になったことを思い出したりして)
要するに自分は不安だったのだ。
ワークショップ当日までの時系列を記していく。
自分は、この時点で「あ、明日、マジでやんのね…。」と覚悟をきめた。正直なところ、(コロナ感染リスクを考えると)、あまり行きたくなかった。「でもやるなら行く。(お金もったいないし)」というのが自分のスタンスだった。
コロナはさておき、ワークショップ自体が約1ヶ月半ぶりだったので緊張していた。
自分がメンタル的なヤマイから、回復しはじめてからは2年ほど経っている。(そのおかげで「コロナ鬱にあまり惑わされずにすんだ」ともいえる)
いつからかはわからないけど身体症状がある。
都内に出る時に起こることが多い。
大体「家出て、電車乗って、船橋あたりで不安の波に襲われ、体調悪くなって、ふらふら…」ってパターン。それも、頓服に頼ったりしながら(頓服は持っているだけでもお守りになる)少しずつ良くなってきている、、と思う。
この日も不安要因は幾つかあった。
だが「ここまできたら毒を食うなら皿までだ」と存外きもが据わっていた。船橋あたりでは、むしろ体調がよいくらいで、不思議な気分。(躁的防衛が働いていたのかもしれない)
しかし水道橋駅についてから不安に襲われてしまった。
水道橋について、食欲は無かったけど、とりあえず、お茶でおむすびを、流し込む。少し時間があったから、ぶらぶら。手持ちの頓服が1錠しか無いことに気がついて、ソワソワ感がMAXになった。
美学校本校の近くにある汚い公園の、汚いトイレで小便していたら、めまいと吐き気を感じた。「マジでぶっ倒れたら、どうしような、、」と思いながら、ふらふらの状態で美学校スタジオに向かう。(今考えると、ここが不安のMAX)
とりあえず、他の参加者に「緊張していること」を報告した。そして「体調がよくないので、途中で帰るかもしれない」と伝えようか、どうしようかと迷っていたら、だんだん気分が安定してきたので、そのままやり過ごすことにした。
その後は、ずっと体調良かったので、めまいも、吐き気もメンタルの症状(単なる予期不安)だったんだと思う。
この日はウクレレを持ってなかった。もし、ウクレレがあったら、少しは気が紛れたのかもしれない。
とまあ、そんなこんながあった。
三回目のワークショップは、16人中7人が欠席。観客役が0人なので、「2、3回リハーサルをやって。公演をして。早めに切り上げようぜ」という話になった。(それもメンタル的に嬉しかった)
ただし台本は12人分セリフがキャスティングされているので代役2名(+鈴木さん)で1人2役を務めることにより何とか乗り切った。(?)
この日の公演は、モノの配置や、入場、あとは「セリフだけは動かさない」ことが定まっていて、それ以外は「役者が動きたいように動く」という自由度の高い演出だった。
なんだか子供の頃やった、ごっこ遊びを思い出す。セリフと筋が決まっているところは違うけど。
カーニヴァル的で、自分はとっても楽しかったけど、「お芝居が破綻するぎりぎりのライン…(ぎりぎり、アウト…?)では?」って気もしていて、それは自分が「自由にやっていいよ」と言われたら、自由に出来るタイプだからで。いやでも楽しかった。
「何をやってもいい」で思い出すのは哲学対話のことだ。自分はコロナ禍、どうかしている位「オンライン哲学対話」にハマっていた。
哲学対話とは。進歩的な教育機関などで、インクルージョン教育の一環として取り入れられているレクリエーションだ。
教師と生徒、大人と子供、男と女、健常者と障害者など、権力が作用しないように、分断を無くして、対等に話す。そのために、いくつかルールが設けられている。そのうちの1つが「何を言ってもいい」というルール。
オンライン哲学対話が、コロナ禍でプチブームになった。自分もそのブームに乗る形で合流。そして、その哲学対話が2021年4月、プチ炎上した。
「何を言ってもいい」というルールは、「哲学対話がヘイトを増長させている」というエビデンスになり、「哲学対話」は加害者席に立たされた。(少し込み入った事情があるけれど、今の自分の筆力じゃ書けないので詳細は省く)
「自由にやっていいよ」と言われても「自由に出来ない人」もいる。
「自由に出来ない人間」は、「自由にしていいからといって、自由にしなければいけないわけではない」という言葉で説得される。(哲学対話でも「発言しなくてもいい」というルールが設けられている)
そして、「自由に振る舞っている人」も、「自由にしていい」と言われたから、自由「らしく」ふるまっているだけなのではないか??、、等々、、のことが、、、渡辺健一郎の「演劇教育の時代」という文章に書かれていた。
(渡辺の「演劇教育の時代」は、この考え方をさらに展開させて「葬式ごっこ」の例から、演劇教育/中動態の問題点を提示して、プラトンの演劇批判などを参照しながらハイデガーのナチ加担問題につなぐ、、というダイナミックな批評。)
だからといって、強くなること、自由になることを否定するのは違う。
インクルージョン教育についても、「現状、これ以上いい学習方法ないよな」と思う(なにより自分の特性にマッチしている…)、、だからこそ「本当にこれでいいのか?」という自問自答があった。
自分自身が「自発性」を求められるレクリエーションについての、自発的にメリット/デメリットを考えていくフェーズに来ていたんだと思う。
なので、ワークショップの中で、演者(役)の1人が「(「自由に動いていい」と言われると)、動かなきゃいけない、、という圧がある」という言葉が出てきた時に、うわっ、と思って、自分の問題意識に引きつけて考えてしまった。このやり方は危険かも、だぞ、と。
まあまあまあ。
それでも楽しかったというのは事実。
自分は「四季」の台本が好きだ。
役者1人ひとりが、楽器のように扱われていて、初読の印象では「台本を読むだけで絵が見えるから、これ以上、動かせないんじゃないか」と思ったけど。そんなことなかった。
「台詞が決まっていても、出来ることはいくらでもある」という事が、この日のカーニヴァル的な演出でわかった。
つまり、喋る言葉が決まっていることは、何も喋らないことと殆ど一緒なのだった。それは非言語的なコミュニケーションなので、性的な匂いがした。
昔、ピンサロに通っていた時のことを思い出す。
性風俗って、射精しに行くのだけど(そうじゃない店もあるけど)、自分は「別に抜きに来てるわけじゃないですよ」という顔をして入店する。なので、プレイに入るまで少し時間がかかる。
風俗嬢がやってくる→風俗嬢とお喋りをする(話の内容は、天気とか、仕事とか、趣味とか、ともかく、さりげない会話)。残り時間を見ながら、「さて」って感じで、おもむろにズボンを脱ぐ。(あるいは風俗嬢がきっかけを出す)
そういう、ちぐはぐなやりとりがある。
だけど、一度だけ、ほとんど会話をしていないのに、風俗嬢がティンコをくわえてくれたことがある。あれはエロかった。肌触りしかわからない相手に射精させられるのは不思議な体験だった。
ワークショップの話に戻る。
公演は予定通り19時15分に行われた。観客不在の中、「われわれは、誰に向けて、何をしているのか」というナゾはあったけど、幕が上がれば、そこは舞台だった。われわれは、演者として演技をしていた。本番には本番にただよう緊張感があった。(鈴木さんの言葉を借りれば「ちゃんとそういう空気になった」)
本番が終わった後は、講評せず、ふわっと解散した。
この日は、いろんな人と仲良くなれたような気がする。子供のころ、原っぱで遊んだような、そんなワークショップだった。
自分は、鈴木や生西さんをはじめ、周りにいる人を全員怖い人だと思っている。それは自分が何をやっても中途半端で、何のスキルもない、コンプレックスだらけの人間だからだ。
だから「みんな表面上優しくしてくれるけど、自分のいないところで悪口を言っている可能性、、あるな」とか、そういう事を考えちゃうこともある。あんまり考えたくないし、考えないようにするけど、うすぼんやりとは思っている。
もしも人と関わらなければ、そんなこと考えずに済むのかもしれない。(斉藤環のいうように)人間と人間が関わるということ自体が暴力で、だからこそ、寂しくなるのかもしれない。
それでも自分はセックスがしたい。金も欲しい。社会に属している以上、人と関わらざるおえない。
人と喋べりたい。何かしてる最中は楽しいし。
そういう意味で、この日のパタッと切り上げるパターンは寂しくならず済んだ。みんなが孤独なまま関わり合うことが出来る。そんな強さを持つことが出来ればいいのに。(第四回に続く)