「日々の公演2」レポートその1

生西康典と鈴木健太 WS「日々の公演2」に参加した。この文章はそのレポートです。

まず、「日々の公演2」が、どのようなワークショップか説明する。

主催するのは生西康典さん、鈴木健太さん。

参加者は、役者役が2万5千円、観客役が1万5千円。合計15名ほどの人間が、東京神保町にある「美学校スタジオ」に、大体月1回のペースで集まって、全部で6回お芝居を公演する、、という内容。(ただし紆余曲折あって全7回になった)

役者役の人には、事前に台本がメールで配布される。それを覚えて13時に集まる。観客役は、開場時間の19時00分、公演時間の19時15分の間にやってきくる。公演を観て、みんなで講評をする。片付けをする。22時に撤収、という段取り。

初回の日付は2021年11月 6日(土)だった。(最初は10月9日からの予定だったけど参加者の都合でリスケされた。)

この日の東京都のコロナ感染者数29人。
コロナは落ち着いていたけれど、原油価格が高騰して深刻みを増していた時期であった。

初回の流れは、

(1)自己紹介
(2)1人で演技
(3)グループ分け
(4)グループで演技1
(5)講評1
(6)グループで演技2
(7)講評2
(8)公演
(9)講評

って感じだった。この間に休憩時間がはさまるわけだから、今見るとタイトなスケジュールだ。

参加している時には、そんなに、わたわた、じゃなかったけど。自分はとても緊張していたので、忙しいとか、忙しくないとかを感じる精神的な余裕がなかったのかもしれない。

台本は、10月11日に美学校経由で送られてきた。タイトルは「真っ暗闇」。35行のモノローグ。

事前に送られてきたメールに「小道具を1つ持ってくるように」という指示があったので、自分はウクレレを持っていった。ウクレレは抱きしめていると落ち着くので、不安を紛らわすために持っていきたかった。(繰り返すけど自分は緊張していた。拘束時間長いし、台本のセリフが覚えられないことで、不安いっぱいだった。)

開始時間のちょっと前に会場に入り、生西さんにご挨拶をして、美学校スタッフの皆藤さん(お世話になってます)に、2万5千円払った。その時「役者役12人/観客役2人」という割り合いを聞いて、びっくりした。

ワークショップでは、まずはじめに自己紹介をした。

自己紹介を聞きながら、「役者役の人たちは、元々の知り合いが多いのかなあ?」という印象を受けた。

「演劇ワークショップに参加する人の、横のつながり、みたいなもの? があるのか?」みたいな…。(この読みは、半分当たっていて、半分外れていた)

アウェイを感じた。

自分は演劇のワークショップを受けたことがないし、芝居も観ない。アートもよくわからない。「演じる」ということについても、親に金をせびるときや、風俗で感じているふりをしている時以外には、ほとんど意識したことがないので、アウェイなのは想定内というか、「それが目的」みたいな所があった。

未知の領域を開拓していく愉悦と、アイデンティティを断ち切った場所に存在できることの気楽さ。

自己紹介が終わると、役者役の12人が、順番に台本を読みあげていった。(オーディションのような雰囲気だった)

自分はウクレレを持ちながら、台詞を暗唱した。この時には台詞を完ぺきに覚えられなかったから、いっぱいいっぱいだ。

それから、ざっくりと、3人グループを組んだ。

鈴木さんは、台本「真っ暗闇」の一行一行に1・2・3という番号をあてた「ニュー台本」を配った。そして、「これから、この台本を3人で演じる」ということがアナウンスされた。

役者役たちは、3人ずつのグループで軽くミーティングをした。

自分のグループには、ワークショップ慣れしている人が1人いたので、その人のファシリで、

・「台本の内容を、どう受け取ったか」
・「どの台詞を言いたいか」
・「役(番号)の解釈」

などを話した。

自分は「目立ちたい」ことを伝えた。(自分は「目立ったほうが、セックス出来る確率が上がる。」と思っているんで)

ミーディングで、他の演者(役)さんが発した、「私はやれることをやろうと思う」という言葉が響いた。みんな、その言葉に飲み込まれていた気がする。

この文章を書きながら、むかし漫画教室に通っていた頃のことを思い出している。

自分が通っていた漫画教室の漫画家さん先生は、現在、新潟に住んでいて、小さいお子さんが2人いる。諸々の理由でコロナ禍以降は全然お会い出来ていなくて、少し寂しいけど、自分は、その漫画家さん先生を尊敬している。「メンター」、とすら思っている。

その漫画教室に通っていた時に、先生は「読者に何を提供できるか」と言っていた。漫画は、べらぼうに絵が上手ければ、絵で読ませることが出来るし、作劇が上手ければストーリーで読ませることが出来る。

自分は絵もへたくそだし、作劇もあまり得意じゃない。他のことで勝負するしかない。

例えば、自分の情けない部分をどこまで見せられかとか。そういうことで勝負するしかない。(それしかない。という気さえしてくる)

自分が創作の時に大事にしているポイントは、そこなんだよなー、てなこと、「やれることをやる」という言葉を思い出しながら、考えている。

話がだいぶ傍道に逸れてしまったので、ワークショップの話にもどる。

1回目のリハーサル/講評、2回目のリハーサル/講評、と、反復していくことで、「良くなっている感覚」はつかめた。自分のような演劇音痴でも、芝居が良くなっていることが分かった。そのぐらい、ドシドシよくなっていた。

そして、3回目(つまり、本番)は、どのグループも、ベストの演技をしていたように見えた。

公演では、同じ台本が4回演じられる。
3人1組のグループが4つあるので、観客(役)は同じ台本の演劇を4回観ることになる。

自分のグループは、一番最後の出番だった。なので、観客も役者も良い意味でリラックスしていたような気がする。

自分は、自分が目立ちたいから、やりたいようにやらせてもらった。笑いが起こったのが嬉しかった。「勝った…!」と思った。

講評の内容は、よく思い出せない。生西さんのファシリテートで、参加者の意見を丁寧に拾っていた。

鈴木さんは(疲れで?)「頭がズキズキ痛む」と言っていて、ちょっと心配になったけど、自分は円形を組んで、わちゃわちゃ喋るのがすごく楽しかった。

他の参加者は、真面目で、技術的にも高度なことをしていた。(のだと思う)講評中、何かを反省している人もいた。(自分には技術的なことが全くわからないので、何を反省しているのかはよくわからなかった)

逆に、自分がどう見られていたのかも、よくわからなかぅた、褒められると、ありがたいけど照れくさかった。

自分は、最終的にセックスがしたいから道化を演じていいるだけで、何ら理念があるわけではない。演劇ラバーでもない。クリエイティヴィティも低い。

そんな自分が褒められるのは、ガチで演技に取り組んでる人に申し訳ないよな、ちょっと居心地が悪いよな、そんな感じがした。

とはいえ否定されたら、ガチで傷つくし、褒めてもらえたら素直に嬉しい部分もある。本当はもっと嬉しくなりたいけど。

それにしても自分は、誰かがファシリテートをしてくれれば積極的に発言できる。講評のたびに「ちょっと喋りすぎたな」と思うぐらい発言しちまった。

この日は講評が終わってから、人との距離がよく分からなくなった。交流自体は楽しかったし、参加者との交流に巻き取られていく感じがあった。そのことが余計に不安を呼んだ。

自分は、コロナ禍で発達障害的になったような気がする。ASD的にも、ADHD的にも複合的に。

診断名が降りたわけではない。ただ「発達障害(ASD/ADHD)」というファクトがインストールされることで、自分の自意識や、振る舞い、その一つひとつが、ASD的、ADHD的、そのいずれかだと思えるようになった。

言葉の発し方、言葉の受け取り方も、以前より慎重になった気がするし。他者との距離の取り方も、よくわからなくなった気がする。

まあ大抵のことは考えはじめると、考えすぎてわからなくなることが多いんだけど、考えずにおれない時はどうしても考えてしまう。偶に答えに辿り着けることもあるので、考えることは無駄ではないと思う。

そんな感じで、初回のワークショップは楽しかった。だけど「なんとなく巻き込まれている」「なんとなく(他者を)巻き込んでしまっている」という状況に対する反省があって。「それでいいのか」と自問していた。(第二回に続く)

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