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マダガスカル人に俺は成る

やっぱりみんな、スケール感が地球サイズ

ピースボート第90回クルーズで共に南半球を一周した仲間(の内のお姉さま2人)と7~8年振り?の再会。その会話から思い出したホンモノの想いを備忘録としてここに書いておく。

嬉しかった。
嬉しかった。
感涙をこらえながらこの記事を書いている。

何が嬉しかったかって、今でも当時のような距離感でいられたことだ。

フォトグラファーになった子、新婚ほやほやで旦那さんの仕事の都合で長野に居る子、直接の連絡はほとんど取らず、SNSをチェックし合うような関係のお姉さん方と久しぶりに再会することができた。

7年振りの再会ってイベントが自分の人生を起こってきたあたりから、自分もこの世で30年生きてきたのだという実感を感じる。今までこんなに久しぶりの再会なんてなかったからね。

話していて特に感じたことは、SNS、特にインスタってのはやはりキラキラSNSでその人のほんの上澄み液しか垣間見れないというのが本質だということ。え、そんなきっかけで今の仕事してたんだ。とか、SNSでは全く感じ取れないことだらけの会話が濃厚で濃厚で楽しくてしょうがなかった。


一番よかった国は?

これは、「世界一周しました」「世界20か国に行ったことがあります」というとほぼ必ず聞かれる質問。

僕はこの質問をされると正直困る。
どの国とかじゃなくて、一連の旅そのものが僕の人生を変えたのであって、どの国のどのシーンがって話ではないからだ。
ただ、改めて仲間に聞かれてみて頭に浮かぶのは2つの国でのエピソードだ。


カンボジア

ピースボート乗船前からPMACキャンペーンに参加していて、ある程度前情報も得たうえで現地に向かった。船旅の通常の行程から数日間離脱して行くオーバーランドツアー。
地雷被害者のグループが暮らす施設でのその人たちと交流した。

地雷で体の一部を失う。それは一瞬の出来事で、そのために人生が一変してしまう。それは戦時中に埋めれらて残っている地雷を踏んでしまうことから始まってしまう。

施設のリーダー この人の眼は生きていた。煌々とした瞳で未来のビジョンを見ていたようだった。
身体が不自由でも日銭を稼ぐ術を習得している施設の人々

絶望感を抱えて生きていた人々。
明日食べるご飯、明日生きるための仕事、お金を得られるのか確証がない日々。そこに、それらすべて持っている若僧たちが交流しにくる。僕たちは明日も明後日も補償されている。なんなら一カ月一年先までも。

そんな現実を受け入れようとするだけで、とてもエネルギーを費やしたのを覚えている。

同じ地球で起きていた衝撃の現実を目の当たりにして、ショックを受けつつも、「せっかくカンボジアに来たんだから楽しもう」って内容も、ツアーの中に組み込まれていたりして。。。アジア名物のナイトマーケットに向かった。
宿はアンコールワットの近く。宿を出てトゥクトゥクでマーケットに向かう。道ばたでの物乞いは当たり前で、目が不自由そうなボロボロの大人が、二胡のような楽器を延々と奏でながらチップを求めていた。こんなに悲しい音を聴いたのは初めてだった。そのすぐそばでは賑やかな飲食店や夜市の露店が並び、笑顔とお金・商品が飛び交う。僕は仲間と賑やかなバーに入り、アンコールビールを一杯飲んだ。そして物乞いにチップを渡すことはしなかった。

これが世界のカオスさ。
日本で見たことのあったカオスとのレベルがまるで違った。


マダガスカル

マダガスカルというワードを日本ではまず聞かないだろう。
後にも先にも、中学の頃に流行った芸人の口からしか聞いたことはない(笑)

カンボジア同様、世界で指折りの貧困国で、その貧しさは5本の指に入るという話だった。

思い返してみると、ここで人生変わった確かな瞬間があった。

マダガスカルはとにかくカオスだった。

こどもはオメメクリクリで、スマホを見せると眼玉が飛び出そうなくらいに驚いて、興奮していた。


「マーケットまでは必ずタクシーを使ってください。山賊が出没します」

↑ ピースボートからの案内

何時代だよ。熊に注意のノリかよ。
とツッコミを入れたくなるが、この国の現実はそうだった。

赤ちゃんの傷口にたかるウジ。
平均出産年齢10~12歳。
↑これは仲間から聞いた現実。この異次元さは実際に目の当たりにしないと想像すらできないだろう。

僕の人生がカチッと変わった瞬間は、交流ツアーの中での食事会の場面だった。

とてもごちそうとは言い難い料理の数々が並べられ、参加していた仲間は顔を見合わせていた。
「これ、食べなきゃいけないの?」と。
炭酸飲料の空きペットボトルに詰められた、発酵したパイナップルジュースとかいう飲み物。
「これ、大丈夫?お腹壊れる気しかしないんだけど。。。」
今こうして文字にしてみると本当に失礼なことだが、海外では自分のお腹を守ることも非常に大切なのだ。
毛が残っているチキンの丸焼きが印象的。勇気を出してかぶりついてみたが、あれはイヤな舌触りだった。
日本人はみんな引いていたその料理は、そこの子供たちにとってはごちそうの中のごちそう。そんな雰囲気だった。
しかし、ゲストの方が残したら食べてもいいよと躾られたのだろう。その料理を前に今にもよだれが垂れそうで、手を膝の上に置いている。
「いいよ。みんなで食べよう」と伝えると飛び上がって喜び、フォークを手に取った。

その必死さが衝撃的だった。
食の基準がまるで違った。
食べる、生きることに対する意識レベルが違った。

生きる意味を見出すための旅に出た自分彼らは対照的だった。
日本で幸せで生きられない自分が恥ずかしくて悔しくてたまらなかった。
同時に彼らの”生きる”に憧れた。

もっと生きなきゃ。
生きるってことはもっと真剣に考えなきゃいけないことなんじゃないか?
生きるってことはもっと純粋に味わうことができるんじゃないか?

きっとその瞬間から僕は、”生きる”に直結することにしか、ほとんど興味がなくなった。

”生きる”ということをもっと純粋に味わうために。
そう彼らのように。

茶碗一杯のごはんに、目をキラキラさせて、よだれを垂らして。
そんなマインドに今も憧れている。

自給自足の暮らしをはじめよう!
農園をはじめよう!
そうした目標は一歩一歩達成してきた。

それでもまだたどり着けない。
憧れの貧困国の民に。

一歩一歩近づいていきたい。

仲間と話していて改めて気付いた自分の奥底に在る気持ち。

この胸が熱さはきっとホンモノだ。

そしてこうした国に実際に訪れた体験を持つ者にしかできないことがある。

だからこの日本で、マダガスカル人に俺は成る。

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