ロックダウンで学んだ新しい生き方
しばらくnoteサボって、少し仕事してました。皆さんお元気ですか?
毎日毎日、ご飯の写真を撮ってはSNSにアップ。別に今どきのことをするつもりもなく、どうやったら生きるモチベーションを保てるか、どうすればセルフネグレクトに陥らないか、単にそれだけのために頑張った、ロックダウン中の買い物行かないチャレンジの写真。人から見られてると思うと、少しだけ緊張感が出て良い。少なくとも写真上では自分を雑に扱ってることがバレないように、それがあるから不思議と家の中が整った。変な動機だ。
普段の仕事が「観られる」ことが前提で生きてきた。といっても、TVに出るわけでもないし、美とは程遠いところにある自分だけど、人様に不快な思いをさせない程度には気をつけようと生きてきた。それが、コロナで本番が無くなって、人から観られる緊張感が一気に崩壊した。そしたら、当たり前だけど太る。年齢的に、何か対策をとっておかないと危険なことになる。そんな自分を鏡越しに見た時なんか、まさに気分はセルフネグレクトもしくは自己嫌悪に陥る。
あっという間に時間が過ぎて、2020年の12月も半ばになってしまった。あと20日もすれば、このトンデモナイ1年が終わってしまう。
一体、何をした1年だった?
何にも出来なかったじゃない?
…… ん?
いや、そんなこともない。なんだかんだ言って、色々あったかも。
1月
・L'ailleurs de l'autre の公演(フランス北部リール近郊)
・普通のいつも通りの生活があった
2月
・ブーローニュのノートルダムで聖母マリアコンサート
・都内で「発声と発音のワークショップ」開催
・長崎と上五島に母と家族で旅行
・コロナっぽいヤバいのに罹って災難
3月
・ステロイド飲んでも声が戻らず焦ったけど、エプタメロンの本番は無事終了
・その頃からロックダウンの予想が出てきて、マクロンの発表が出たと同時に3月後半からの仕事が一時キャンセル。モーツァルトの「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」の本番がパリで控えてたのに、全3公演が中止。物凄く残念だった。
・そんなわけで、こんなパリに居られるか!と、すぐに東京行きエアチケットを手配、着の身着のまま状態で航空券を買ったその日の夜に東京に戻った。そに2時間後から、フランスはロックダウン開始。
4月
・予定していた公演はキャンセル、東京でのレッスンも対面で出来なくなり、オンラインで何とかやってみるかと試みる。今まで対面で習っていた生徒さんの殆どから連絡がないのが非常にショックだった。見捨てられた感でいっぱいになった。皆さんそれどころじゃないんだろうと理解するまでに時間がかかった。その後、だいぶ時間が経ってからご連絡いただけた方もいてホッとしたけど、すごく寂しい気持ちになった。無事に生きているかすら連絡をもらえないというのは、本当に悲しいことだと思った。自分は必要とされてない現実に心を酷く痛めた。歌とか音楽なんて、いざとなったらこの世に必要ないものだと三行半を突き付けられたような辛さだった。特に、レッスンという親密な間柄で関わっていた方々からの殆どの方からの連絡がないことに、本当に絶望した。これは単に偶然の出来事だったと信じたい。親密だった方ほど返事がないのは、本当に本当に悲しい出来事だった。もう何もそれに関して思っていないけど、人生を考え直すポイントになったことに間違いはない。所詮、そういう関係、というものがあるということ。悲しいけど、ドライに考えるべき関係は世の中に存在するらしい。
5月
その代わり、2月のワークショップで初めて会った方々から、少しずつオンラインや対面のレッスンの依頼が来るようになり、もしかしたら音楽や歌は別の角度で必要とされているのかもしれないと、希望を持つことができた。音楽は死んでいない。私はまだ死ななくていい。私にはまだ役割があるかも知れない、そんなふうに思えた。実家の庭仕事をしながら、母と過ごす日々。最初はこの貴重な時間大事にしようと心がけたが、だんだん疲れてくると自分を無意識のうちに虐めるようになる。自分なんていなくてもいい、クズだ。そんなふうに思える日々が続いた。ただ、オンラインレッスンや対面レッスンをしている時、少し自分の存在価値を高めることができた。
・芸大時代の同期でリモートで集まった。20年も前の仲間。みんな立派になって、家庭を持って素晴らしいと思った。芸大の頃よりも切磋琢磨がなくなったおかげで、今だから話せることもあって、ひとりひとりの個性が愛おしく思えて貴重で尊敬すべきものであるのが嬉しかった。
・フランスとリモート録音で作品をつくる。
・たまひびの水面下活動再開。亜紀子さんが作った歌が気に入って、歌い始める。歌詞をどう受け止めればいいのか、希望があるように見えるときと、新しい世界に強制的に変わらなければならないのかという厳しさとに、歌うたびに突っかかる部分がかわる。
6月
・フランスのロックダウンが緩和されて、仕事が戻ってきた。または追加された。フランスは様変わりしていた。みんなマスクをしている。街に人は少ない。観光客のいないパリは活気がない。
・渡航許可が出るか否かドキドキしながら、ベルリンに到着。ドン・ジョバンニの顔合わせとリハーサル。本番は2021年11月。水面下で動いている芸術家たちをなめんなよと言いたい。いつの間に準備してたの?なんてお気楽な山の手マダムに言われたくないわ。私たちは、何としてでもこれで生きていきたいんだよ。創作していくことで生きていきたいんだよ。たとえこれから家庭を持とうが、子供を持とうが、創作して表現して食べていくことが出来なかったら、死んだも同然なんだよ。そんなくらいに、皆んな爆発した。皆んな活動が出来ることの喜びで、生き返った。
7月
・再び日本に帰り、オンラインレッスンと対面レッスンを再開。東京近郊以外の方々からもレッスン希望者が増え、本当にありがたい。私は、だから、出来る限りのことをしてあげたくなる。必要とされている有難さが身に染みる。
・初めてのPCR検査。日本の空港にて。陰性。
・たまひびリハーサルをリモート中心に頑張ってみる。結構良い部分もある。
8月
・横浜エアジン、お茶の水エスパス・ビブリオでたまひびのライブを開催。どちらの会場も、オーナーさんを中心に全面協力でライブ環境を整えてもらい、本当にこんなに嬉しいことはなかった。私一人のオーガナイズでは到底コンサート開催は無理。リスクが大きすぎる。そんな中、この2か所の協力は、新たな活動再開のための大きなステップとして本当にお世話になれて感謝。集まってくれたお客様にも感謝。久々に数ヶ月ぶりに人前で歌った横浜エアジンでのライブは、衛生上の都合で7人のみのお客さんだったけど、心が何度も震えるほど、人前で歌える喜びがあった。エスパスは大きい窓を開放して、8月15日の街宣車が通るかも知れないリスクと戦いながらも、なんとも言えない解放感の中で歌えた。やっぱり歌うことが好きでしょうがないんだ。
9月
・本来なら7〜9月は音楽祭で歌ってたはずが、コロナの影響というよりメセナが支援出来なくなり音楽祭は悉く中止または延期。そんなわけで東京滞在を伸ばし、9月に日本での活動をもう一歩前に進める。
・たまひびでしっかり録音して作品にしていこうと。
ちょうど録音の日の朝に、懇意にしていた17歳の歌の生徒さんが危篤状態になった知らせを受け、その2週間ほど前まで喫茶店で色々と相談事を聞いたりしていた彼女が、向こう側の人になってしまうかも知れないことに怖くなる。手の裏と表。そのくらいに、人間の命はパッと消えてしまうのか。コロナで散々そんな話がニュースで出て、コロナ不況で自殺する人が増えたとか何とか、そんなに一気に世の中は変わってしまうのか?命ってなんだ?人生ってなんだ?自分の人生は自分の描く映画なのか?自分が満足することは、自分が消えてしまった後には何か残るのか?自分が生きている間に出来ることは何か?このままじっとしていて、そこで誰か大事な人が向こう側に行ってしまったとしても逢いに行けず、また別の機会にと言って先延ばしにして、いつかは二度と来ない、そんな人生でいいのか?
10月
9月末にフランスに戻り、早速本番で歌うことができた。9月末〜10月中旬までのフランスは歌える幸せの時間だった。お客さんの前で歌える喜び。
・アンブロネ音楽祭でシャルパンティエの「アクテオン」と「マーシュアップ」という80年代フレンチコンサート
・ノワールラックにてL'ailleurs de l'autre のコンサート
・ハノーファー、ベルリン、シュトゥットガルトでの本番は全てキャンセル。欧州内渡航制限がかかって、予定より5日前に入国するとか厄介で結局本番中止。悔しかった。6月にベルリン行けたのが奇跡に思えた。そして、ロックダウンに続く。
11月
右を見ても左を見ても、ロックダウンに入ってしまえばコンサートは中止。日本に帰ろうか迷ったが、12月頭のオペラ収録のために今回のロックダウンはパリで頑張ることにする。やれることはないか。3日ほど落ち込んでみたあと、どうせ生きるなら楽しみを見つけながら生きたほうが得な気がして、その方法を色々試した。それの一つがこのnote、買い物行かないチャレンジ、vlog、映像編集、料理、自分のアパルトマンを満喫などなど。そして自分を見つめ直す。結果は7勝3敗くらいの良い時間だったと思う。仕事は今したってしょうがないと開き直って、焦るのをやめた。思いっきりしたいことをする。したいことがなければしない、それで良いと思った。あなたは誰からも期待されていない。それでいいんだ。自分が期待してあげればいい。自分が喜ぶお膳立てをしてあげればいい。自分が綺麗だと思うものをSNSにアップして、人が何と言おうが自分が良いと思えばいい。そのスタンスで1か月を過ごす。わがままな1ヶ月。でも誰に迷惑をかけてるわけじゃない。この行動で誰かが嫌な気分になるのだとしたら、その誰かの心に問題があるのだ。でも、私はその人のことまで考える義務も必要もない。まずは、自分が立ち直ること。自分が前よりも、もっと生きやすくなって、もっと歌う喜びを再確認して、自分を可愛がってあげること。自分を美しいと思ってあげられるように。
12月
・シャトレ座にて「アクテオン」収録
仕事をしてるときは気持ちがいい。根っからの仕事人間なんだと気づく。家庭的ではない。だから、家で快適に過ごしてる今の時間が、人生で最もレアな体験。最高に楽しんでる。仕事をしてる時は自分が生きていると感じる。そして、今みたいに家で生活することを楽しむのは、きっとこれからの自分の趣味になるんだと思う。
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私の人生を一文字で言い表すなら「旅」。そこに制限がかかってる今、行き場を失い苦しさでいっぱいになった。生きる意味がわからなくなった。
今やっと、新たなバランスが見えてきそうな気がする。家を楽しんで、生活を趣味にする。そんな生き方があって良いと思う。そして、仕事は必ずまた手元にたくさん確保して、山ほど歌って、山ほど表現するんだ。お客さんの前で。感動してくれるお客さんたちの空気を感じながら。「旅」は一生続くんだ。今は止められてたけど、私は旅する。空港の雰囲気、人が混雑していようが閑散としていようが、そこに数時間滞在し、通り過ぎる感覚が何とも好きなんだ。今まで当たり前だったし、もしくは移動なんて億劫なときもあった。でも、今はそれが本当に愛おしくて、旅に出たくてうずうずしている。もうすぐ旅に出る。
流れる水は腐らず。