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有料化について

 お金を払ってでも読みたい文章というのがどういうものか、正直言ってよくわかりません。
 ただし、この note のページを開設したときから、有料にすることは射程に入っていました。それを提案してきたのは、このページの編集担当をしている娘です。無料が前提のブログ(十勝日誌)で文章を書き続けていくことに困難を感じている父に、SNSが当たり前の世代の娘が、こんなのも、あんなのもあるよと教えてきてくれたなかのイチ推しが、この note だったのです。
 ブログへの文章投稿を継続することに困難を感じはじめた理由はさまざま考えられますが、そのひとつは、自分が翻訳家で、文章を書くことを生業としてきたからということがあります。もっとピンポイントで言えば、会社勤めを辞めてフリーになったとき、趣味で(つまり無料で)文章を書くことだけはやめようと考えたのです。つまり、収入源をほかに確保して、余技として、趣味として、あるいは芸術行為としての文学を守るみたいなことはやめようと心に決めたわけです。
 でも、翻訳だけではどうしても余りが出てしまう。職業としての翻訳家だけでは満たされないものがある。そこで生まれ育った町に帰ったのを機にブログを始めたわけです。悪戦苦闘の連続でした。その一端はこの note にも転載しましたから、少しはおわかりいただけるかもしれません。
 この悪戦苦闘の原因も、自分が最初に立てた原則、すなわち趣味で文章を書かないということにあります。ブログは無収入でやる以上、それは趣味です。さまざまな分野のアーティストが立ち上げているオフィシャルサイトに含まれるブログはあくまでも広報宣伝活動の一環でしょうから、趣味とは言えないにしても、それで原稿料をもらっているわけではないので、専門領域での表現活動とは別次元の、あくまでもパーソナルな、プライベートなものということになるでしょう。
 つまり、有料か無料かの区分けは、社会性の有無に基準があるということになります。あくまでも個人的な見解であり、それは良し悪しの問題でもありません。
 旧ブログは趣味に徹することにしました。写真です。最近は写真を撮っているときがいちばん癒されます。社会的なことはいっさい考えずに、花や虫や空の雲と向き合っているからです。できた写真にタイトルをつけ、数行のコメントを書き込むとき、それなりに考えますが、考えすぎないようにします。日本人が短い詩の形式——とくに俳句——を編み出したことは、碌でもないものばかり発明してきた人間の歴史のなかで、特筆すべきことのように思います。
 いつも俳句を意識して写真を撮っています。でも、俳句は書きません。それもまたプロの仕事の範疇に入るものであって、趣味でやるものだとは考えていないので。あくまでも個人の見解ですが。
 その対極にあるのが、一部有料にしたこの note です。
 どういうコンテンツにすればいいのか、まだはっきりとは見えていません。
 ただ、ブログと、このページの差異をはっきりさせてリスタート、そんなところです。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。

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