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通底する価値を見出す努力(最終回)
昨日の投稿では、日本学術会議の実態を詳述しました↓↓
今回は、このシリーズの最終回として、日本学術会議の「道徳教育観」について投稿します。
●日本学術会議の道徳教育報告の問題点
令和2年6月9日に日本学術会議哲学委員会哲学・倫理・宗教教育分科会が公表した報告「道徳科において『考え、議論する』教育を推進するために」の内容も問題点が多い。
同報告には、次のように書かれているが、道徳教育の根本認識についての議論を深める必要がある。
・「道徳教育は、道徳的社会への構築への参画を子供に促すようなものでなければならない」
・「シティズンシップ教育とは、社会変革と創造に参画する主権者を育てる教育のことであり、…道徳教育をシティズンシップ教育へと発展的に解消すべきである」
・「道徳性とは社会制度的・政治的な問題であり、個人の心の問題にすり替える操作をする『心情主義』が問題」
・「『価値観の注入』ではなく、主体的対話的な『手続きの道徳性』の涵養を目的とすべきである」
・「文部科学省編『私たちの道徳』の道徳観は国際人権論に反しており、自他の権利や尊厳を守ることができない人間を育てる等の危険性がある」
・「『お母さんへの請求書』は母親の無償労働という伝統的役割、自己犠牲を押し付ける『古い価値観』」
・「道徳の問題を心の問題にしてしまう『心理主義化』や『心情主義』が問題」
・『心理主義化した道徳教育には、各人の利益を対話により調整するという政治的過程が欠落している」
・「重んずるべき大きな価値は多様性である。価値の多様性に鑑み、暗黙の裡に身に付けている道徳的価値を反省的に吟味することを可能にするような『考え、議論する』道徳の推進に協力する」
同報告の作成に関わり多大な影響を与えた松下良平著『知ることの力一心情主義の道徳教育を超えて』は、「心情主義の(道徳)教育(つきつめれば<心の教育>)の幻想に取りつかれて、文部科学省のかけ声に合わせながら皆が一斉に同じ方向につきすすみ、誰も責任を自覚しないままに、空虚で危険な試みが続けられている」と述べ、「知行不一致現象の拡大再生産」を行い、「『心』という空虚な実態一人々を魅了し肯かせるが、実際にはどこにも存在しないもの一に寄りかかりつつ繰り広げられてきた」「心情主義的道徳教育論の誤り」を強調した。
これらの「心情主義的道徳教育論」批判に対する最も鋭い反論がジョナサン・ハイトが『しあわせ仮説』で指摘した、直観や情動ではなく、思考に働きかけてきた「道徳教育の深刻なあやまり」という指摘である。
私はこの点に焦点を当てた研究発表を2年間で4回、日本道徳教育学会で行ったので、発表要旨を参照してほしい。
「セクシュアリティの多様性」「宗教的多様性」を尊重する視点から、同報告が「日本のマジョリティの習俗や伝統行事、例えば、『七夕』『盆踊り』や『神社の祭り』や『生命や美など、人間の力を超えたものに対する畏敬の念』が、…宗教的良心からの不服従も含め、どのようにして宗教的・文化的な少数者の価値観と権利を擁護するかを道徳教育の課題とすべきである」と結論づけている点には疑問が残る。
多様性に「通底する価値」の視点が欠落しているからである。
ちなみに、日本学術会議法学委員会「社会と教育におけるLGBTIの権利保障分科会」が令和2年9月23日に提言「性的マイノリティの権利保障をめざしてⅡ一トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備について―」を公表していることも注目される。
●中学校社会・歴史学習指導要領改訂をどう捉えるか
平成29年の学習指導要領の改訂によって、中学校社会・歴史の学習指導要領の「目標」も大きく変わった。平成20年の指導要領の歴史的分野の目標には、「我が国の歴史の大きな流れを、世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて理解させ、それを通して我が国の伝統と文化の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」と書かれていた。
ところが、平成29年の改訂によって、次のように変わった。
「我が国の歴史の大きな流れを、世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて理解するとともに、諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする。」(目標一)
「歴史に関わる事象の意味や意義、伝統と文化の特色などを、時期や年代、推移、比較、相互の関連や現在とのつながりなどに着目して多面的・多角的に考察したり」(目標二)
「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚・・・」(目標三)
改訂の狙いは「知識の体系であった学習指導要領を資質・能力の体系へと転換」することにあり、教育課程企画特別部会の論点整理(平成27年8月26日)によれば、「まずは学習する子供の視点に立ち、教育課程全体や各教科等の学びを通じて『何ができるようになるのか』という視点から、育成すべき資質・能力を整理する必要がある。その上で、整理された資質・能力を育成するために『何を学ぶのか』という、必要な指導内容などを検討し、その内容を『どのように学ぶのか』という、子供たちの具体的な学びの姿を考えながら構成していく必要がある」という。
つまり、「何ができるようになるのか」(思考力・判断力・表現力等)という目標論=学力論を上位に置き、「何を学ぶのか」という教育内容論と「どのように学ぶのか」という教育方法論を、その目的実現の手段として位置づける「学力構造の転換」を図ったといえるが、歴史教育の本質論から見ていかがなものか。
「伝統文化の特色」「我が国の歴史に対する愛情」「国民としての自覚」という「歴史的分野の目標」がアクティブ・ラーニングや「多面的・多角的考察」の名の下に、軽視又は矮小化されてしまった。本末転倒も甚だしい。
また、育成すべき資質・能力の3本柱である「学びに向かう力、人間性等」を育む「非認知的」な共感性を育む視点が欠落している。
小林秀雄は「歴史は詮索するものではない。まず共感しなければいけないものだ」と喝破したが、学習指導要領を「共感」を軽視し、「詮索」を重視する「考え、議論する」「アクティブ・ラーニング」へと転換させる教育改革は、人間の心の情意的側面を土台として、認知的側面を育てるという教育の根本を見失い、両面のバランスを欠いた「改悪」といえる。
「どのように学ぶのか」=「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)が重視され、各章の終わりにグループ討論・ワークや発表につなぐデジタル教科書の構成が際立っているが、江戸幕府による赤穂浪士の処罰の評価についてグループで話し合うなど、現代の価値基準で歴史を裁くことはいかがなものか。
「考え、議論する道徳」の前に、「共感する」道徳教材が欠落しているのとまったく同様の問題点が歴史教科書にもあるといえる。
大学の授業改革のために提案された「アクティブ・ラーニング」が独り歩きするようになった問題点について、最初の提案者である鈴木寛氏は次のように指摘している。
「アクティブ・ラーニングというワンパターンの学びを押しつけようとする動きがある。アクティブ・ラーニングが唯一の学び方だと捉えられてしまうことを、とても危惧しています。」
また、「考え、議論する道徳」を提唱した文部科学省幹部は、「価値観の押しつけ」という批判をかわすために思いついたと公表しているが、こうした実態を十分に踏まえる必要があろう。
教科書調査官の質の低下は目を覆うばかりであるが、この人事にも関与したと思われる前川喜平元文部事務次官が、『女たちの21世紀』92号の巻頭インタビューにおいて、今回の学習要領改訂の全体を貫く理念は「アクティブ・ラーニング」で、「考え議論する道徳」によって「自分自身の正義」を見出すことが大事であり、「文科省は、これまで現場の教員を飼いならそうしてきました」「日教組にはもっと力を持ってほしい」と述べていることに注目する必要がある。
さらに、安倍政権によって教育基本法が「教育の第一義的責任は家庭にある」と改正された点を批判し、教科書の中立性を担保するために「審議会」がある点を強調しているが、この「審議会」が「中立的」なものではなく、日本学術会議や全教・日教組(共産党・社民党等)系の影響力が強い構成になっていることが問題なのである。
「ガラパゴス化(世界標準からかけ離れている日本の現状を批判的に表した新語)」した「高大連携歴史教育研究会」の歴史用語削減案が文部行政にも反映し、平成28年12月の中教審答申「幼小中高及び特別支援学校の学習指導要領の改善及び必要な方策等について」における歴史系科目の「用語の整理」につながった。
高大連携歴史教育研究会の歴史用語削減案では、日本史1664語と世界史1643語を選択して、現行の各3500語程度から半減し、吉田松陰、坂本竜馬、高杉晋作、「シベリア出兵」などが外され、「従軍慰安婦」「「南京大虐殺」「戦時性暴力」等「日本軍の加害性を強調」する「日本を悪玉にする特定史観の印象を受ける」と伊藤隆東大名誉教授は批判しているが、その通りであろう。
同研究会が「時代の基本的特徴を説明する概念用語」を精選する基準の妥当性こそが問われているのだ。「シベリア出兵」という用語は削減されたが、「時代の基本的特徴」を理解する上で必要不可欠であり、「知識の理解の質」の向上にはつながらないことは明らかだ。
国難を突破する原動力になった先人について学ぶ「人物学習」は歴史教育には欠かせないものであり、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作などの人名を削減することは、基礎基本の知識を学ぶ時間を3割削減したゆとり教育の間違いを、「アクティブ・ラーニング」の名の下に繰り返すことにつながる。
中教審委員を2期4年務め、同答申にも関与した同研究会の油井大三郎会長は『未完の占領改革ーアメリカ知識人と捨てられた日本民主化構想ー(増補新装版)』(東大出版会、平成28年)において、「占領改革の成果を守り、発展させる課題」は「日本人の双肩にかかっている」と結論づけている。
早大の有馬哲夫教授は近著『日本人はなぜ自虐的になったのか一占領とWGIP』(新潮新書)によって、「GHQ洗脳説」を否定した賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム』や若林幹夫『「GHQ洗脳説」は誤りである』、山崎雅弘『歴史戦と思想戦』、秦郁彦『陰謀史観』等を、WGIP文書の第一次史料に基づいて完膚なきまでに批判しているが、油井の前掲書にも同様の問題点がある。
占領改革においてもっと戦前の日本を徹底的に解体して改造すべきであったというのが彼の基本的な考えであり、高大連携歴史教育研究会副会長で同第3部会長の君島和彦東京学芸大名誉教授は家永教科書裁判の原告側の主要メンバーである。
中学校学習指導要領解説書に「竹島は日本の領土」と明記したことを批判して、その部分を削除して「韓国との関係を復元すべき」というコラムを朝日新聞に寄稿し、朝鮮日報のインタビューで「竹島は韓国領だという主張が正しい」と答えた反日学者である。
日本学術会議の軍事研究反対声明の他にも、反日学者に教育された文部科学官僚による教育現場への悪影響も出始めている。
学習指導要領改訂で聖徳太子の厩戸の皇子への言いかえ問題や、科学研究費の配分において、領土問題や慰安婦・徴用・朝鮮統治・日支事変などで中韓露側の資料のみに基づき日本側資料を無視した研究や慰安婦「強制連行」肯定研究に多額の助成をするなど、学術・教育分野にまで深刻な影響が及びつつある。
●おわりに
筆者は内閣府の男女共同参画会議の有識者議員を4期8年務め、第4次・5次基本計画の策定に同基本計画策定専門調査会のメンバーとして関わってきた。
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