”借り物の言葉”ではなく、内から湧いてくる”自分の言葉”を
これまで自身の半生を振り返った内容や、現在取り組んでいる感知融合の道徳教育、日本的ウェルビーイング、時事の教育論を投稿してきた。
今度、発刊を予定している新著の担当編集者から、過去に私が学生に向けて語った講演録をnoteに投稿してみるのはどうか、と提案があった。
20年以上前の講演であるが、現在の教育課題にも通ずる内容と感じたことが理由とのこと。
妻の偲ぶ会の開催にあたり、元ゼミ生から懐かしい写真も多く届いたが、今後は髙橋塾生の協力もいただきながら自身の研究・教育活動を整理していきたい。
”あとから来る者のために”役立てられれば幸いである。
ということで、今回からは過去の講演録を投稿していこうと思う。
【平成7年5月】※筆者、当時44歳
講演タイトル:ナンバーワンからオンリーワンへ ― 生き方へ自信をつける学問を!
講師:髙橋史朗(明星大学教授)
●内から湧いてくる志を立ててほしい
あなたがたはこれから大学生活の中で自分はこういうことをしたい、という内から湧いてくる志、これを立ててほしい。
志を立てるために学問をしてほしい。志を立てるためには自分を見つめなくてはならない、自分を取り巻いている世界を見つめなくてはならない。
僕は大学生の皆さんにはぜひ豊かな体験をしてほしい、チャレンジをしてほしいと願っています。
だんだん安全主義になってチャレンジをしなくなりますから。しかし、チャレンジすることによって、困難に挑戦することによってもっと強い自分を発見できる。
僕が大学生と接して来ての体験ですが、例えばある学生が、丁度連休明けの頃ですが「先生、教育原理の授業を取りたいんです」と言ってくるんです。
「あなたはなぜ履修期間に言ってこないで、今頃やって来たんですか」と聞くと、「お母ちゃんが教員免許だけは取っておいた方がいいと言うから」と。
そこで改めて聞き直して、「先生になるのはあなたか、お母さんか。もう一回ゆっくり考えて、あなたが本当に先生になりたいと思うなら、一週間後また来なさい」と言ったら来なかった。
それから、どういう卒業論文を書いたらいいかわからない、という人が多いですね。卒論の提出の一ヵ月前になって「先生、このテーマを変えたい」というんです。「どうして?」と聞くと、「一生懸命本を写しているんだけど、写しているばかりで自分の卒業論文という気がしない。自分が本当に求めているのは、実は別にあったんだ。それについて書きたい」というのです。
教職にしろ、卒論にしろ、何となく選んでいる学生があまりに多い。
●知識ではなくて実感する学問を
僕は、必然性のある学問が大事だと思うんです。自分が大学生活の中で、”テーマ”を持つことが大切なんですね。
それも、たまたま面白そうだなぁ、と思ったテーマなのか、必然性があるテーマなのか、これは重要な違いです。
大学時代には自分の問題意識ということが大切になってくる。例えば、エマーソンというアメリカ人が、「教えてもらった知識は皆んな忘れてしまってあとに残ったものが教育だ」と言っている。
色々な知識を皆さん今まで詰め込んできましたね、受験に必要な知識を。これから大学でもいろんな知識を詰め込むでしょう。でも、そんな知識はみんな忘れてしまって、あとに残ったもの、心に残ったものがそれぞれにとっての本当の学問であり教育である、と言うんです。
これから皆さんが大学で学ぶというときにあって、単に知識ではなくて、実感する学問が大事です。
「わかる」というときに、わかり方が二通りあります。
一つはアンダスタンド。分析して理解する、知識がわかる、というわかり方です。
もう一つはリアライズ。しみじみと実感する、心から感ずるというわかり方です。
例えば、水というものがありますね。水は何から出来ているか。水素と酸素から出来ている。この理解はアンダスタンド。でも、自分がのどが渇いている時に、冷たい水をごくんと飲む。そのときに「ああ、水というのは美味しいなぁ」というのは実感するわかり方。
皆さんが大学に入るまでにやってきたのは、主にアンダスタンドの方です。残念ながらリアライズの方はテストで評価できない。客観的に評価できるのはアンダスタンドの方です。実感する学問の方は戦後の教育の中で軽視されてきたのです。
●”いじめ”の背景にある感性の欠如
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