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渡部昇一先生との思い出―教科書正常化運動の原点は渡部論文



●はじめに
11月18日の投稿では、近隣諸国条項が規定される経緯を紹介する中で、教科書誤報問題について触れた。

実は、私が教科書問題に強い関心を持つ契機となったのは故・渡部昇一先生の論文であった。

今回は、臨教審での渡部先生との出会いをはじめ、対談番組や靖国神社崇敬奉賛会主催の公開シンポジウムなど、思い出を振り返ってみたい。





●教科書正常化運動の原点は渡部論文

渡部昇一先生との出会いは、中曽根政権下の政府の臨時教育審議会の専門委員に共に就任したことにあった。

臨教審は教育の自由化論の急先鋒で文部省改革派の多い第一部会と守旧派の多い第三部会が鋭く対立し、激しい論争が繰り広げられた。

渡部先生は第四部会の専門委員であったが、自由化論の代表的な論客のお一人であった。

ただ、その出会いより前に、私が渡部昇一先生の言論活動に最初に注目したのは、自由化論ではなく、昭和57年の教科書誤報事件に関するものであった。

文部省検定で「華北への侵略」を「進出」に書き換えさせたという誤報が一斉に報じられた教科書誤報事件の際に、渡部先生が真っ先に月刊誌『諸君!』10月号に「萬犬虚に吠えた教科書問題」と題した論文を発表され、大反響を呼んだ。

この論文を読んだ時に受けた衝撃が私が後に教科書問題に深くかかわるようになった決定的な契機となった。

この論文を皮切りに、産経新聞は9月7・8日付けで、フジテレビも9日夜11時のニュース番組で誤報の詳しい経過とお詫びを述べたが、他の新聞各紙やテレビ局のニュース報道は誤報の事実を隠蔽し、お詫びはおろか訂正もしなかった。

この渡部論文に触発されて私は教科書問題について強い関心を持つようになった。

後に、高校の日本史教科書『新編日本史』の検定や採択をめぐる問題について『諸君!』に巻頭論文を連載したり、中公新書から『教科書検定』を出版するに至ったのもすべてこの論文が契機になったといえる。

この教科書誤報事件が中国・韓国の反発を招き、宮沢官房長官談話から「アジアの近隣諸国に配慮する」と明記した近隣諸国条項へと発展し、中韓による「外圧検定」が恒常化するに至ったのである。

このような危機的状況を背景に、西尾幹二・藤岡信勝氏と協議して「新しい歴史教科書をつくる会」を設立したが、今日の教科書正常化運動の原点は渡部論文にあったことを忘れてはいけない。



●臨教審「教育の自由化」論を振り返って

話を臨教審に戻そう。
臨教審の審議に当たっては、運営委員会と四部会が設置された。

第一部会「二十一世紀を展望した教育の在り方」
第二部会「社会の教育諸機能の活性化」
第三部会「初等中等教育の改革」
第四部会「高等教育の改革」

※髙橋は第一部会の専門委員を務めた。

臨教審の母体となったのは、「世界を考える京都座会」(松下幸之助座長)と「文化と教育に関する懇談会」であったが、京都座会が「学校教育活性化のための七つの提言」を発表し、教育の自由化の具体的提言として大きな反響を呼んだ。

この京都座会のメンバーから臨教審第一部会長の天谷直弘氏と第二部会長の石井威望氏、渡部昇一氏と山本七平氏が第四部会と第一部会の専門委員に任命された。

「七つの提言」とは、

⑴学校の設立自由化と多様化
⑵通学区域制限の大幅緩和
⑶意欲ある人材の教師への登用
⑷学年制や教育内容・方法の弾力化
⑸現行の学制の再検討
⑹偏差値教育の是正
⑺規範教育の徹底

であったが、渡部先生が「塾を学校にするために、新しい校舎もいらなければ何もいらない。新しく税金を注ぎ込む必要もない」と力説されたことを鮮明に覚えている。

自由化論の目玉となった「学校設立の自由」「学校選択の自由」「学区制の廃止」などは、学校教育の水準、公共性、継続性が破壊されるとの反論が文部省側から出された。
中曽根首相のブレーンであった香山健一第一部会長代理が月刊誌『文藝春秋』に「文部省解体論」と題する論文を発表し、自由化論争が白熱化した。

自由化論の急先鋒であった香山健一氏とかつての東大全学連の同志・俵幸太郎氏と第一部会終了後、牛尾治郎(京都座会メンバー)氏が所長を務めた社会工学研究所に移動して、今後の議論の進め方について頻繁に戦略会議を行ったが、渡部先生とも、自由化論争をきっかけにアンチ文部省派の専門委員として議論する機会が多くなった。

そのために渡部先生も私も文部省からはにらまれる存在であったが、特に、教科書検定を行う調査官に人材が得られない背景について、主任調査官であった村尾次郎所蔵文書の詳細な情報に基づいて抜本的改革を訴えたことが、文部省の反発を招いたようである。



●ぶっつけ本番の対談番組「渡部昇一の新世紀歓談」

ともあれ三年近く毎週三時間、総理府(現内閣府)で教育改革論議に参画できたことは貴重な経験となったが、臨教審の審議で最も強く心に残っているのは、事務局(文部省)抜きの合宿集中審議合宿で「自由化」論者と「反自由化」論者がお酒も飲まず風呂にも入らず休憩なしに激論を討わせたことである。

安倍政権時代の教育再生実行会議では委員の発言時間が制限され、しかも言いっ放しで相互の討論に時間が割かれておらず、実質的には文部科学省がリードしているように見受けられた。

このような審議会の在り方を根本的に変革することを目指した改革派の専門委員であったという共通点から、渡部先生とテレビを中心としたさまざまなメディアで議論する機会が多く、テレビ東京の対談番組「渡部昇一の新世紀歓談」に何度も出演させていただいた。

この対談番組は細川隆元氏と小汀利得(おばまとしえ)氏(後に藤原弘達氏に交代)の歯に衣を着せぬ「時事放談」の後継的な対談番組で、1990年代の半ばに毎週日曜日の朝に放映された。

ちなみに、私も同時期に大阪の読売テレビの深夜の討論番組の司会を毎月レギュラーで担当し、教育改革をテーマにタブーに挑戦する企画を立て、臨教審メンバーや文部省幹部を含む多くのゲストを招いて、白熱した討論を行った。

「渡辺昇一の新世紀歓談」は対談内容についての事前の打ち合わせはほとんどなく、ぶっつけ本番で本音トークができたことは私にとって光栄な至福の時であった。

渡部先生はいつも収録の直前にスタジオ入りされ、目の前で和服に着替えられ、「さぁー、高橋さん始めましょうか」と声を掛けて下さり、核心に迫る議論の口火を切られるのが常であった。

その切り替えの早さにはいつも驚かされた。
常に大胆率直で構えがなく、ユーモアたっぷりの話しぶりに魅了された。



●東京裁判について力説された公開シンポジウム

平成22年11月20日に、今はもうない九段会館大ホールで、靖国神社崇敬奉賛会主催の公開シンポジウム「生きるということ~改めて英霊を想う~」で、渡部先生と御一緒させていただいたことも忘れられない思い出である。

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①歴史教育、②家庭教育、③道徳教育、④日本的Well-Being教育の観点から、研究の最新情報や、課…

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