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道徳教育の「深刻なあやまり」



●三つの実験でわかったこと

1980年代までは、道徳心理学は情動の進化ではなく、思考と情報処理の発達を扱う学問だとされていたが、1992年に「進化心理学」という新たな名称を獲得した社会心理学の復活によって、情動は進化によって形成されると考えられるようになった。

情動は本能的で愚かなものと捉えられていたが、次第に科学者は、情動が認知に満たされていると認識するようになり、情動と認知を対立的に捉える観点から脱却した。

ジョナサン・ハイトは、「情動と思考は、道徳的判断に至る二つの異なる経路である」というジェファーソン・カルトの二重プロセスモデルを検証する次の実権を行った。

⑴ 殺菌したゴキブリ入りジュースを飲めるか

⑵ 「私は死んだら魂を2ドルで売り渡すことを約束します」と書かれた用紙にサインできるか

⑶ 兄妹のセックスは間違っているか


その結果、理性的判断ではなく「情動的判断を下そうとしている」ことが明らかになった。

また、5人の命を救うために1人の命を犠牲にすべきかを問うトロッコ問題と、歩道橋問題に対する道徳的判断がなぜ異なるのかについて、グリーンは脳科学的に明らかにした。

ハイトは「理性は情緒の召使いにすぎず、そうあるべきであり、情緒に奉仕し、服従する以外の役目を望むことは決してできない」と主張するヒューム説が正しいという。

人格の倫理から板挟みの倫理への転換により、道徳教育は徳から離れて、道徳的推論へと変わってしまった、とハイトは批判し、この道徳教育の変更は「深刻なあやまり」だとして、次のように指摘している。

<人間の心を動かしているのは象(直観、情動)であり、乗り手(思考)ではない。・・・1970年以降の道徳教育の「深刻なあやまり」は、多くの道徳教育は、象使いを象から降ろして、象使いだけで問題解決できるように訓練しようとしてきた。何時間もの事例研究や道徳的なジレンマに関するクラス討論、ジレンマに直面して正しい選択をした人たちのビデオを見せられた後、子供たちは(何をではなく)どのように考えるかを学ぶ。授業が終わると、象使いはまた象の背中にまたがる。休憩時間になれば何も変わらない。上手に推論することを教えることによって子供たちに倫理的にふるまうようにしようとするのは、尻尾を振って犬を喜ばせようとするようなものである。因果関係が逆なのだ。>


最近の育児書にも同様の誤りがあるとして、次の一節を引用している。


<私のアプローチは、子供たちにして良いことと、してはいけないこと、そしてそれはなぜなのかについて教えることではなく、むしろ、彼らが自分でして良いことと、してはいけないこと、そしてそれはなぜなのかについて考えることができるよう、考え方を教えることである。>




●ハイトの『しあわせ仮説』

また、ハイトは『しあわせ仮説』(新曜社)で、次のように解説している。

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①歴史教育、②家庭教育、③道徳教育、④日本的Well-Being教育の観点から、研究の最新情報や、課…

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