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戦後の道徳教育が形骸化した歴史的要因―ガラパゴス化する日本の教育学会・歴史学会



自民党文部科学部会で、海外日系子女いじめ問題、教育勅語の教材使用問題、高大連携歴史教育研究会の歴史用語削減案と幼児教育無償化の問題点等について講演し、文部科学省と国会議員と活発な議論が行われた。

海外日系子女いじめ問題については、朝日・グレンデール訴訟の判決によって、いじめや嫌がらせ等の被害事実が認定され、「いじめは都市伝説にすぎない」という批判は否定された。

また、平成26年2月28日と9月9日にロサンゼルス市内のホテルで母親3人が総領事・首席領事と面談し、いじめの具体的事実について報告したが、その具体的事実がロサンゼルス総領事館、外務省に正確に報告されていないことが新たに判明した。

今回は、教育勅語の教材使用問題について、そもそも教育勅語はどのような意図で起草されたのかを明らかにし、戦後の教育学会・歴史学会の問題点を指摘したい。





●明治天皇の叡慮を無視した教育勅語の解釈

教育勅語の教材使用問題については、日本教育学会が研究報告書を公表し、「教育勅語には現代でも通用する『普遍的な価値』はまったく存在しません」と断言し、教育関連学会や日教組・全教(共産系)などが相次いで反対声明を発表した。

同研究報告書の「Q&A」によれば、
「井上哲次郎が執筆した『釈明教育勅語衍義』(1942年)では、『夫婦相和シ』について、妻は夫より知能が劣るから夫が無理非道を言わないかぎり夫に従うべきだ、という意味の解説をしています。また、「一旦緩急アレハ・・・」は「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」(文部省図書局「教育に関する勅語の全文通釈」1940年)という意味ですから、日本国憲法の三原則のいずれにも矛盾します」
と述べている。

しかし、『明治天皇紀』によれば、『釈明教育勅語衍義(えんぎ)』は「私著として上梓」されたと書かれており、「この書、修正の如くせば可ならん。しかれどもなお簡にして意を尽くさざらんものあらば、また(井上)毅と熟議してさらに修正せよ」という明治天皇の御言葉が記されている。

井上哲次郎はこの明治天皇の叡慮に従わず、「毅と熟議」どころか、「撥ね付けた」のであった。

それ故に、「私著として上梓」されたのであり、決して教育勅語の公式解釈ではなかった。

井上毅は教育勅語の起草に当たって、「宗旨上の争端」「哲学上の理論」「政事上の臭味」「漢学の口吻と洋風の気習」などを極力避けるように細心の注意を払ったが、後年の文部行政は教育勅語を「唯一絶対視」したために、実際には「政事上の命令」の如く歪められてしまったのである。



●欧米でも評価された教育勅語の価値観

また、「一旦緩急アレハ」の一節が問題視されているが、「義勇公ニ奉」じる愛国心などが、むしろ欧米では高く評価されたのである。

ラフカディオ・ハーン著『知られぬ日本の面影』に教育勅語の英訳文が掲載され、末松謙澄と菊池大麓がロンドンで、金子堅太郎がニューヨークで、吉田熊次がベルリンで教育勅語を紹介し、大好評を博した。

そこで文部省は『漢英仏独教育勅語訳纂』を公刊し海外の要所に配布した。

例えばイギリスでは、教育勅語は日本の急速な発展を促した指導原理として、次のように積極的に評価された。

「我々に有益なのは、日本人の永き太古の伝統」
「教育勅語は寛大な威容を湛えている。教育勅語は過去の力をもとに将来へと前進していくことを求めている」
「過去の最良なものの真髄を見事に保守」
「われわれはそのなかに隣人に対する義務を示している点で、英国国教会の説教と結びついた聖パウロの教えのようなものを聞くようである」

(平田諭治『教育勅語国際関係史の研究-官定翻訳教育勅語を中心としてー』風間書房、平成9年)


教育勅語の道徳規範まで危険視し、教材化自体をタブー視するのは不見識である。

教育勅語と教育基本法が両立していた戦前と戦後の連続性を全面否定することは「歴史に対する欺瞞」である。




●教育勅語と教育基本法の連続性を否定する文部官僚

しかし、この傾向は文部官僚のトップにも見られる。

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①歴史教育、②家庭教育、③道徳教育、④日本的Well-Being教育の観点から、研究の最新情報や、課…

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