
昭和100年、終戦80年の節目に思うこと
本年は昭和100年、大東亜戦争終戦80年を迎える年である。
1924年にアメリカで「排日移民法」が成立し、日系移民が全面禁止されると、日本国民の対米感情の悪化が決定的なものとなり、1929年に世界恐慌が始まると、日本はドイツへの親近感を深め、大東亜戦争へと突入した。
人種差別撤廃提案がなされた1919年に裕仁親王(のちの昭和天皇)に対する倫理の御進講の中で、杉浦重剛は次のように語っている。
今回欧州大混乱の終局を為すべき講和会議に於いても、人種に関する問題は一の重要件なり。米国現大統領ウィルソンは将来に於ける世界の平和を保たんが為、国際関係を円滑にし、正義を標準として万事を決し、以て戦争の惨禍を予防せんことを主張しつつあり、是れ其の大体に於いては異議なき所なるべし。而して此際の我国の代表者が人種的差別の見を撤廃せんことを要求しつつあるは、新聞紙上に於いて報道せらるる如くなり。是れ亦固より正当の主張なり。
世界幾多の邦国は其の国際を円満にして、一家の如く平和を保ち、互に其の幸福を増進するは最も喜ぶべき所なり。又幾多の人種ありと雖も、互いに手を携えて文明の域に進むことは、人類の理想と為すべし。然れども欧米人は動(やや)もすれば有色人種を軽侮するの先入観念を有することあり。人種差別を撤廃すること難かるべし。之を我が国に見るに、王制維新以来四民平等を主義とするも、今日猶ほ旧事の穢多非人を軽侮するの風ありて、近頃之が救済改良を目的とする有志会の会合ありたる程なり。されば我が国は、人種差別撤廃の主張の貫徹し得るや否やに拘わらず、毅然として己を持するの道を立つること最も肝要なりとす。他なし。我が国家、我が国民は、仁愛と正義とを以て終始を貫き彼等欧米人をして心服せざらんとするも得べからざるに至らしむること是なり。若し能く此の如くなるを得ば、人種的差別撤廃の如き、固より憂ふるに足らざるなり。
安倍元総理は終戦70年談話において、「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります」と結んだ。
第一次大戦後に開かれたパリ講和会議において日本は人種差別の原則を国際会議の場で初めて提唱した。
このことを安倍元総理は、令和元年10月4日の第200回国会の所信表明演説において、「新しい時代の世界のルール作りを日本が力強くリードした」事例として、「一千万人もの戦死者を出した悲惨な戦争(第一次世界大戦)を経て、どういう世界を創っていくのか。新しい時代に向けた理想、未来を見据えた新しい原則として、(1919年)日本は人種平等を掲げました」と述べ、「日本が掲げた大いなる理想は、世紀を越えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています。今を生きる私たちもまた、令和7年1月27日の新しい時代、その先を見据えながら、この国の目指す形、その理想をしっかりと掲げるべき時です」と締めくくった。
1919年から日本は世界のリーダーとして、一貫して人種差別撤廃運動を発議し展開してきた。
世界中に欧米の植民地支配が広がっていた当時、日本の人種差別撤廃の提案は、各国の強い反対に直面したが、各国の代表団を前に、日本全権代表の牧野伸顕(まきののぶあき)は、毅然として「困難な現状にあることは認識しているが、決して乗り越えられないものではない」と述べた。
人種差別撤廃提案は不採択となったが、日本が世界で最初に人種差別撤廃を提案したという歴史的事実は、国際社会に一定の刻印を残した。
日本は日独伊三国同盟後もドイツのユダヤ人排斥には同調せず、人種差別的な主張と政策には否定的・非協力的な姿勢を貫き通した。
大東亜戦争中の昭和18年に東京で開かれた大東亜会議における大東亜宣言は、パリ講和会議で不採択になった「人種差別撤廃」を高らかに謳っていた。
日本は大東亜戦争には敗れたが、多くのアジア・アフリカ諸国で独立運動・独立戦争が起こり、欧米の植民地支配体制は崩壊し、人種平等を尊重する世界が実現した。
戦後、国際連合に加盟し安全保障理事会の非常任理事国に当選した際に、新興独立国から多くの支持を集めた理由の一つは、人種差別撤廃を世界で最初に提案した国という歴史的実績があったからに他ならない。
2018年8月16日、ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会の日本審査セッションの日本セ府代表による開会の挨拶の冒頭において、大鷹正人外務省総合外交政策局審議官は、「99年前に国際社会が日本政府のイニシアチブと共に、パリ講和会議で人種差別の問題に取り組む最初のステップを取った」と発言した。
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?