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男女共同参画社会は、ジェンダー・フリーを目指しているのではない



11月7日の投稿では、新たな高校歴史科目「歴史総合」の導入にあたり、「ジェンダー史」について実際にどのような議論が行われたのかを紹介した。

ジェンダーの視点からの歴史の読み替えによる歴史用語の精選を初めとする歴史教育改革(新科目「歴史総合」など)の最新動向について考察する前に、改めて「ジェンダー」とは一体何かについて根本的に問い直す必要があると思われる。






●ジェンダーとは

自然的・生物学的性差(セックス)に対して、社会的・文化的性差をジェンダーという。
ジェンダーという用語は、前述したように1995年の第4回世界女性会議で採択された北京宣言及び行動綱領において使用されたが、男女共同参画社会基本法には使用していない。

国連「開発と女性の役割に関する世界調査報告書」(1999)によれば、「ジェンダーは生物学的性差に付与される社会的な意味と定義」され、社会階層を作り出す「思想的、文化的な構築物」であり、「人種、階級階層、民族、セクシュアリティ等の他の階層基準に類似」しており、「ジェンダー・アイデンティティの社会構築及び両性間の関係に存在する不平等な権力構造を理解するのに役立つ」という。(『ジェンダー史から見た世界史』11ページ)

上野千鶴子東大教授によれば、「なぜこんな新しい概念が生まれたかといえば、生まれつき決定されていると考えられるセックスに対して、ジェンダーの多様性や変化の可能性を示すため」であり、「社会的に作られたものだから、社会的に変更することができる」ことを明確にするために、あえて「ジェンダーという外来語を訳さずにそのまま使っている」という。

ジェンダーは社会的・文化的概念であるから、人間社会のありとあらゆるところに見出すことができる。

「ジェンダーバイアス(ジェンダーに根差した偏見や固定観念)を取り除く」という掛け声の下に、家庭や職場などにおける男女の固定的役割分担、テレビやコマーシャルなど、人間社会のほとんど全領域において、現在の在り方を根本的に覆すことができるようになる、つまり、ジェンダーという言葉を武器にして男女平等や男女共同参画を主張すると、社会全体を変革する大きな破壊力を発揮することができるという訳である。

ジェンダーという耳慣れない用語がにわかに登場し、頻発されるようになってきた背景には、このような狙いや思惑が潜んでいたのである。



●ジェンダー理論の三段論法

埼玉大学の長谷川道子名誉教授は、ジェンダー理論は次の三段論法から成り立っているという。

➀「ジェンダー」は(男女の定型を押し付けることによって)女性たちを抑圧する
②「ジェンダー」は、文化的・社会的に形成されたものに過ぎないから簡単に変更し、解体できる
➂だからジェンダーは解体しなければならない。


この論理の根本的な誤りは➀にある。

人間社会のありとあらゆるところに支配・被支配、権力・抑圧の構造を見るというのは、すでに破綻したマルクス主義の発想であるが、この➀の前提からすると、ジェンダーが持っている積極的な意義が見失われてしまう。



●ジェンダーの積極的意義とは一体何か。

いかなる生物も単なる染色体の差異による雌雄の差があるだけでは繁殖することができない。

例えば、オーストラリアのあずまや鳥は、オスが飾り立てたあずまやにメスを誘って初めて交尾が可能になる。
アカカンガルーのメスは、力比べに勝ったオスでなければ交尾を許さない。また、チョウゲンボウのオスは小型で素早く狩りをし、メスは大型で卵やヒナを保護するのに適しており、片方が子育ての最中に死んでしまうと、全部共倒れになってしまう。

こうした雌雄の行動の型は、動物の場合は種ごとに定まっており本能によって学習なしに繰り返されるが、人間の場合は学習し文化として継承されないと身につかない。

こうした男女の行動の定型はある意味で煩わしく、うっとおしい限りでもあるが、もしそれが失われてしまったら、人工飼育されたチンパンジーが繁殖・子育てを放棄するように人間の子育て繁殖は不可能となってしまう。

ジェンダーが人間を縛らなくなったら、人間は繁殖の作法を失い、人類は存亡の危機に瀕する。
動物は高等になるにつれて、それぞれの雌雄の繁殖の作法を持ち、それは本能によって行われるが、チンパンジーやゴリラにおいてさえ集団における学習が必要不可欠である。

人間の場合、それに当たるのが「ジェンダー」で、人間社会における「ジェンダー」は非常に重要な働きをしているものなのである。



●男女共同参画社会は、ジェンダー・フリーを目指しているのではない

男女の性差を解消して男女の逆転や中性化を目指す極端な「ジェンダー・フリー」は、男女共同参画社会の実現をむしろ阻害するものである。

男女共同参画は、
「男女の差の機械的・画一的な解消を求めているものではない」
「『男らしさ』『女らしさ』や伝統文化などを否定しようとするものではない」
という政府見解が内閣府によって明らかにされている。

男女共同参画社会基本法があたかもジェンダーフリーを志向しているかのような誤解を招いてしまったことについて、平成17年7月23日付読売新聞社説は、男女共同参画審議会答申「男女共同参画ビジョン」に「社会的文化的に形成された性差(ジェンダー)に縛られず」とあるのは、「男女共同参画はgender equalityを越えて、ジェンダーそのものの解消、『ジェンダーからの解放(ジェンダー・フリー)』を志向する」と解説したためであるという。

しかし、「政府が基本法の法案を作成する段階で、ジェンダーフリーの視点は否定された」と同社説は断言している。

「ジェンダー」とは、「社会的・文化的に形成された男女の定型」を意味する。

「セックス」に基づく「自然的・生物学的な性差」は先天的なものなので解消してしまうことはできないが、後天的に作られた「ジェンダー」は社会的に解消してしまうことも可能だということである。

ここに、男女の性差は常に男性が支配し、女性が抑圧されるという構造を持つというマルクス主義の理論が加わり、人間社会のいたるところにある全ての現象に内在している「男女の定型」イコール「ジェンダー」をすべて打ち壊すべしという「ジェンダー・フリー」理論が出来上がり、全国に広がったのである。

しかし、ジェンダーには積極的意義があり、これが失われたら人間は生きていけないのである。



●「性差別意識」と「性差意識」の違い

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①歴史教育、②家庭教育、③道徳教育、④日本的Well-Being教育の観点から、研究の最新情報や、課…

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