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寺田恵子著『日本書紀⑴神代一世界の始まり』のご紹介


髙橋史朗塾の第3期から始まる「記紀研究会」のテキストである寺田恵子著『日本書紀⑴神代一世界の始まり』(グッドブックス)について、筑波大学非常勤講師で国民文化研究会理事の伊勢雅臣氏が、同研究会の月刊「国民同胞」(9月10日付)に以下の紹介文を寄稿されているので全文を引用して紹介したい。


ーーーー以下引用(現代仮名遣いに変換)ーーーー

タイトル:「私たちは何者だったのか」を知る喜びー寺田惠子『日本書紀①神代ー世界の始まり』のご紹介


はじめに一またとない良書一

またとない良書の刊行が始まった。『古事記』に比べると『日本書紀』は漢文体で全三十巻と長くとっつき難い面があるが、それを古代人の精神を活き活きと甦らせつつ解説している。

それは学習院女子大学講師の寺田恵子氏による『日本書紀』全巻を「年二巻宛刊行の四年がかり全八巻」の「現代語訳+解説」で説き明さうとするもので、その第一巻、題して『神代一世界の始まり』が上梓された。

寺田氏は、大学での講義のほかに、社会人相手に『日本書紀』全巻を八、九年かけて講読する講座を二度も実施されている。

私も一度拝聴したが、それは知識としての「面白さ」ではなく、先人たちの心ばえがまざまざと蘇ってきて、我が先人たちはこういう考え方、感じ方をしていたのかということが伝わってくる「面白さ」なのだ。
私たちは何者だったのかを知る喜びなのである。

今回、その第一巻が発刊されたのを機に、氏の解説を頼りに日本の神話に込められた我が先人たちの心ばえの一端を辿ってみたい。


なぜ三大神勅には「戦闘」に関するものがないのか

この本で私が最も「興味深く」感じたのは、アマテラス大神が天孫ホノニニギノミコトに下された三つの詔には、「戦闘」に関わるものはないという指摘である。
三大神勅とは、我が国の国柄を研究する国学や国体学で常に中核をなすものだが、このような指摘は私にとっては初めてのものだった。

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①歴史教育、②家庭教育、③道徳教育、④日本的Well-Being教育の観点から、研究の最新情報や、課…

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