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今、なぜ「感知融合」の道徳教育なのか?
玉川大学出版部から『臨床教育学と感性教育』と題する著書を出版し、同大学院と明星大学でライフワークとして「感性教育」について研究してきた私が、近年「感知融合」の道徳教育について研究し、日本道徳教育学会で研究発表を重ねている理由は一体何か。
これまでの感性教育に関する著書は、
・『感性・心の教育(全5巻)』(明治図書)
・『感性教育』(至文堂)
・『日本文化と感性教育』(モラロジー研究所)
・『感性を活かすホリスティック教育』(同)
・『豊かな感性育成プログラム』(監修髙橋、日本青年会議所)
などであるが、こうした感性教育に対する先行研究の成果を否定するものではなく、発展的に継承しようとするものである。
●感知融合の「情動学」との出会い
一般的には、感性と理性を対立的に捉え、理性が能動的であるのに対して、感性は受動的な感受性と解されているが、両者は対立するものではなく、感じることによって知の活動が活性化され、知が深まることによって感性も深まるという相互補完関係にある。
感性は外界の対象を受け身的に受け入れるだけの感覚とは違って、対象に対して心が揺り動かされるところにその特色がある。
「色心不二」を説いた空海、「心身一如」を説いた道元は、心と身体を分離して考える弊に陥ることに警鐘を鳴らしたが、近代化によって理性は心に、感性は身体に引き付けられて解釈され、理性と感性は対立的に捉えられ、感性は理性に従属する低次の能力と捉えるようになってしまった。
『感性の哲学』の著者である桑子敏雄東京工大大学院教授は、科学的思考と感性との統合という感性哲学の課題に取り組んだ大森荘蔵こそ日本の感性哲学の先駆者であるとして、語られた理念が人の心と身体を動かし、世界を動かす時、その言葉の力こそ「言霊(ことだま)」と言われるのにふさわしい、と指摘している。
「感知融合」という視点に転換する決定的な契機となったのは、能楽師の脳研究に関する情動研究会(後に「日本情動学会」に発展解消)に参加し、「情動学」を学んだことであった。
とりわけ東大大学院の遠藤利彦教授の『『情の理』論一情動の合理性をめぐる心理学的考究』(東大出版会)と情動学シリーズ(全10巻)に出会い、文部科学省に「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」が設置されたことは画期的意義があると確信した。
●「認知的共感」(メンタライジング)と「情動(感情)的共感」(ミラーニューロン)
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