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「育てる大学、育つ大学」をつくる ④ (深掘りLIVE #45 文字起こし記事)

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〜12月2日 20:00

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深掘りLIVE #45 「育てる大学、育つ大学」をつくる ④

深堀ライブの45個目ですね。ちょっと久しぶりになりますが、「育てる大学、育つ大学をつくる」のその4をやりたいと思います。

ますます進む大学のユニバーサル化とミスマッチ

この「育てる大学、育つ大学をつくる」は、これまで3回お話してきましたが、最初、一番大きなのはやっぱりミスマッチですね。高等教育、大学のユニバーサル化というものが進んで、いろんな人が大学に入ってくるようになったわけです。

そんな中で、大学がこれまでやってきた教育では、入学した学生との間にミスマッチが起きてしまうという問題が実は始まっていて、これが今、いわゆる中堅の私立大学とかにも押し寄せてきたという状況が出てきているわけです。このミスマッチ問題への対応というのがやっぱり一番大きな問題だったかなと思います。

どうすれば学生が育つのか?

そういう中で、育てる大学、育つ大学というものが必要になってきたというふうに思っているということで、最初にその1で話させていただきました。

その2では、それをつくるにあたって、どうしたら学生が育つ力を身につけることができるのだろうかと。特に学生が主体的に育つ力を身につける。

これはこれまでの大学教育の形態、特に講義形式などではそれに対応できないという根本的な発想があります。学生が自分の頭で考える力を身につけることが重要であって、現在の大学の授業形態はそれを伸ばすことに向いていないという話をしました。併せて、私が勤めた大学での育てる大学、育つ大学の実践についてもお話をしました。

そしてその3では、大学はユニバーサル段階に入ったということなんですが、そこで学生を、今はもう定員割れしちゃってるわけですから、選抜できないわけですね。基本的に全入です。全入したところで定員割れしているという話になっているわけです。

初年次教育はうまくいっているか?

ところが、大学教員がそれに対応できていないと。これは大学教員の問題もあるわけですが、そんな中でリメディアルとか初年次教育とかいろんなことが言われてきたんですが、3つ目の深堀ライブでは、初年次教育について少し詳しくお話をしました。

特に大切なことは、初年次教育にチームで取り組むこと、担当者任せにしないこと、それから学生の個性と強みを引き出すことです。

単なる大学の利用法とか図書館の利用法とかレポートの書き方とかやってる初年次教育は初年次教育とは言えないわけです。一人一人の学生の個性と強みを引き出していく必要があって、それは対話を通じて行われるものだという話ですね。それをやるためには、大学教員は無駄な講義や採点に時間を使ってはいけないと。そんな話をさせていただきました。

育てる大学、育つ大学とは?

今日はそれを踏まえて、育てる大学、育つ大学ということで、実は大事なのは、育てる大学、育つ大学になるためには何よりも学生が育たなければいけない。そして実はそのためには、大学も育たなきゃいけない育てられる大学にならなきゃいけないということなんですが、そのためには、育つ力がどういうふうに身につくのかを、大学教員、大学職員が知らなければいけないわけです。

ところがこれを意外と知らないわけです。つまり教職員自らが育つ存在でなければならないという大問題があるわけですね。職員が育つ、教員が育つ、そういう大学でなければ育つ大学にはならない学生を育てられる大学にはならないというふうに私は考えているということです。

学生を育てる大学は職員も教員も育つ大学

じゃあどうすれば職員は育つ職員組織になるのか。どうすれば教員は育つ教員組織になるのか。いやもうすでにそうなっているというふうに思っているかもしれませんが、私の目から見るとそうなっていない大学が圧倒的だろうというふうに思っています。

おそらく大学の教員は、自分の研究に勤しむことを犠牲にしながら学生の教育に当たっているんだと言うかもしれません。実際には講義や採点、学生指導にかなり時間を取られていると思いますが、じゃあそこで本当に効果的に学生を育てるような教育ができているのかということが問題になるんですね。

学生との対話、教員同士の対話はできているか

そのときに2つほど言いますと、1つはやっぱり学生との対話ですね。対話がどこまで本当にできているか。これは授業形態とかも含めて対話をもっと徹底してやらなきゃいけない

それからもう1個は、前回お話しした初年次教育にはチームティーチングが必要だって言ったんですけれども、教員のチームができるためには教員同士の対話ができなければいけない。この教員同士の対話が本当にできているかということなんですね。

大学教員同士は意外とそれぞれの専門に閉じこもって、例えば、初年次教育ということについて、学生の教育ということについて、担当者任せにせずに、共通の問題として教員同士で対話をしながら問題解決に当たれるかということなんですね。

本気で解決する気がないから担当者任せにする

私の経験から言うと、だいたい担当者を決めて担当者任せにして終わるという場合がほとんどじゃないかと思いますね。問題を共有してチームで解決するということができている大学はあまり見たことがない。だいたい教員一人一人に任されてしまう

あるいはその教員一人でまかないきれない時には他の教員がサポートするということもあるかもしれませんが、その時にはせいぜい相談に乗るという形がほとんどなんじゃないかなと思っています。

教員同士で対話をして課題解決をする、チームとしてね。ということが本当にどこまでできているのか、ということを一度考えてみるといいんじゃないかなというふうに思っています。

育ち合う関係はできているか?

結局、育てる大学、育つ大学といった時に、大学には主に学生が中心にいて、そして職員がいて、教員がいてと。これが主な構成員ですね。それ以外に理事とかもいるんですが、実は、理事も育たないと困るんですけども。これはちょっと置いといて、ここでは、大学の現場での話に限ります。


やっぱり教員、職員、学生の関係に育て合う関係、育ち合う関係があるかないかということがやっぱりとても大事だと思うんですね。ただ単に一方的に学生を育てる大学なんていうのは作れないわけですね。そんな教育力を持った大学教員、職員がそうそういるとは思えない。

しかもその場合には、個人の力に依拠するみたいな話になってくるわけですが、そういう育てるトレーニングを、大学教員なんかは特に受けてるわけでもないし、職員も受けてるわけでもないわけですよね。教員免許を持たずに大学教員になっている人がたくさんいるわけですから。

そうすると、育てる大学、育つ大学をつくるというときに一番ポイントになるのは、そこにいるすべての構成員が育つ、育ち合う、育て合う、そういう関係を結べるかどうかだというふうに私は思ってるんですね。

共同体としての大学

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