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泣いた赤おに 絵本の思い出2
いろんな版の絵本があるようだが、おすすめしたいのは原文に忠実な偕成社の1993年版だ。私が読んだのは、たぶん偕成社の1965年版だった。幼稚園児の頃に近所の児童館で何度も何度も何度も読んだ。
最近はオペラとしても上演されているようだが、残念ながら私は見ていない。
だれもが知っている話だと思う。
あらすじを紹介しておきたい。以下、「」はすべて原作からの引用である。
そのおには、「おにの子どもが、いたずらをして」「小石をぽんと投げつけようとも」「にっこり笑って見てい」るような、「やさしい、すなおなおに」だった。
そんな赤おにが、「できることなら、人間たちのなかまになって、仲よく、くらしていきたいな」という気持ちを、「自分ひとりの心のなかに、そっと、そのまま、しまっておけなくなり」、家の前に立て札を立てる。
「ココロノヤサシイオニノウチデス。ドナタデモオイデクダサイ。オイシイオカシガゴザイマス。オチャモワカシテゴザイマス。」
立て札に目をとめたきこりが、なかまのきこりと、おにの家の戸口の前でしりごみをしていると、赤おにが「まっかな顔をつきだし」て、「おい、きこりさん」と呼びかけた。きこりたちは「でた、でた、おにが」とおじけづいて逃げ出してしまう。
赤おには、「気短者」でもあったので、立て札をひきぬいてこわしてしまう。
そこに、ひょっこりと、青おにがやってくる。赤おにがわけを話すと、青おにが、そんなの「こうすりゃ、かんたんさ」と、自分が「ふもとの村」で「あばれよう」という。
青おにの提案はこうだ。
「(自分が)あばれているさいちゅうに、ひょっこり、きみが、やってくる。ぼくをおさえて、ぼくの頭をぽかぽかなぐる。そうすれば、人間たちは、はじめて、きみをほめたたえる。」
「そうすれば、しめたものだよ。安心をして、遊びにやってくるんだよ。」
「ふうん。うまいやりかただ。しかし、それでは、きみにたいして、すまないよ」という赤おにに、青おにはこういった。
「なぁに、ちっとも。水くさいことをいうなよ。なにか、一つの、めぼしいことをやりとげるには、きっと、どこかで、痛い思いか、損をしなくちゃならないさ。だれかが、犠牲に、身がわりに、なるのでなくちゃ、できないさ」
なんとなく、ものかなしげな目つきを見せて、青おには、でも、あっさりと、いいました。
「また、思案かい。だめだよ、それじゃ。さあ、いこう。さっさと、やろう」と、青おににせきたてられて赤おにも一緒に村に下りていった。
作戦はうまくいって、赤おにには、めでたく「人間の友だちなかまができ」て、それからはさびしい思いをしなくなった。
「けれども、日数がたつうちに、心がかりになるものが、一つ、ぽつんと、とりのこされていることに、赤おには気がつきました。
それは、ほかでもありません。
青おにのこと──親しいなかまの青おにが、あの日、別れていってから、ただの一度も、たずねてこなくなりました。」
青おにの家の戸は「かたく、しまって」いた。戸のわきには「はり紙」があった。
「アカオニクン、ニンゲンタチトハドコマデモナカヨクマジメニツキアッテ、タノシククラシテイッテクダサイ。ボクハ、シバラクキミニハオ目ニカカリマセン。コノママキミトツキアイヲツヅケテイケバ、ニンゲンハ、キミヲウタガウコトニナルカモシレマセン。ウスキミワルクオモワナイデモアリマセン。ソレデハマコトニツマラナイ。ソウカンガエテ、ボクハコレカラタビニデルコトニシマシタ。ナガイナガイタビニナルカモシレマセン。ケレドモ、ボクハイツデモキミヲワスレマスマイ。ドコカデマタモアウ日ガアルカモシレマセン。サヨウナラ、キミ、カラダヲダイジニシテクダサイ。
ドコマデモキミノトモダチ アオオニ」
「赤おには、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。戸に手をかけて顔をおしつけ、しくしくと、なみだをながして泣きました。」
ここで、物語は終わる。
幼少の私にとって、この話はどう理解してよいのかわからず、大いに悩んだ。だから、何度も何度も何度も何度も読み返した。
赤おにのわがまま、青おにの親切、という単純な話ではない。どちらも心優しい鬼なのだ。
青おにの自己犠牲を払ってまでの友情の深さというだけの話でもない。
赤おには、なんでそんなに人間と仲良くなりたかったのか。なんで青おには、そんな赤おにの願いを叶えてやろうと思ったのか。
赤おにはいったいなにを思って泣いたのか。幼少の私ですら、ただ悲しくて泣いたんだとは思えなかった。
赤おにはきっとすごく悔しくって泣いたんだと思った。すごく悔しかったんだと思う。悔しくて悔しくて、だからこそ悲しくて、「戸に手をかけて顔をおしつけ、しくしくと、なみだをながして」泣いたんだと思った。
なにがそんなに悔しかったのか。
赤おには、「人間の友だちなかま」とその後も楽しく過ごせただろうか。
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