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自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論 ②(深掘りLIVE #47 文字起こし記事)

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深掘りLIVE #47 自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論 ②

このエピソードでは、自然淘汰時代を生き延びるための大学改革について考察されています。対話型学習と体験型学習の2つの柱が提唱されており、改革エネルギーが枯渇した日本の大学において、主体的な学習者を育むためには講義形式の見直しとAIとの対話の重視が重要とされています。また、日本の大学改革が自然淘汰時代に直面する中で、新しいアプローチが議論されており、特に学生が主体的に学ぶ環境を整える重要性が強調されています。さらに、大学改革の必要性が指摘され、社会的な自己学習能力を持つ学生の育成が重要であると論じられています。(AI summary)
目次
大学改革の必要性 00:00
対話型学習の重要性 04:22
体験型学習の導入 07:46
大学改革の必要性 11:06
AIとの対話の重要性 15:52
体験型学習の推進 19:02
大学の役割と教員の適合性 22:16

深掘りLIVE #47 自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論 ②|LISTEN

深堀ライブの47、自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論その2ということになります。

前回が8月末でしたので、だいぶ時間が空いてしまいましたが、これは実は二つのシリーズがセットだったんですね。

一つは、時代遅れの改革ラッシュが大学淘汰に拍車をかけるというシリーズと、もう一つが、自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論

これを表裏の関係でセットで展開しようということで去年の夏に始めたんですが、その後ですね、これは先ほど46個目の深堀ライブで時代遅れの改革ラッシュのその2でお話したんですけど、そちらのシリーズはもう打ち切ることにしました。というのも、改革ラッシュは思ったほど起きなかった

むしろ改革エネルギーはすでに消失している、消滅している、改革するエネルギーすら大学業界にはなくなっていると。多くの大学においてですね。

改革エネルギーの枯渇

改革エネルギーは枯渇したというふうに認識をしまして、それで結局、この改革ラッシュが大学淘汰に拍車をかけるということで改革ラッシュ起きると思ったら、思ったほど起きなかった。

なぜかっていろいろ考えると、もう改革エネルギーが残っていないということですね。あとは座して死を待つのみと。

自然淘汰に任せて、社会淘汰が激化する以前に、もう自然淘汰圧の中で自然消滅していく大学が、今年5月、6月にはまた募集停止がいっぱい発表されると思いますが、年々増えていくだろうということですね。

その話については深堀ライブの46である程度話したんですが、そこでちょっと語り漏らしたことですが、私立大学ですね。

日本に私学らしい私学は存在しない

私が念頭に置いているのは、私立の中小規模の大学を念頭に置いているんですけれども、結局、私学はもともと建学の理念、建学の精神に基づいて私財を投げ打って、寄附行為として、教育に命と人生と財産を捧げるというところから始まっているのに、もうその精神を持っている私学は、ほとんどないと。教職員の飯の種にしかなっていないんじゃないかということが一つです。

それからもう一つ、ちゃんと私財を投げ打った理事長、学長がいるのかっていう、そういう私学があったら知りたいというのが一つですね。私学っていうのは私財を投げ打ってでもやるものだという。だけどそういう私学は見当たらないという。だからここには改革エネルギーすら生まれてこないという。それが一つですね。

学生募集のための改革がそもそもの間違い

もう一個がこれまでの改革、時代遅れの改革っていうのは結局、学生募集のための改革だったんですね。これ学生募集が目的になっちゃう。

学生募集は、結果なんですよね。学生が集まるっていうのは結果であって、それを目的にしたところですべて間違いが始まっているんだけども、さらに学生募集を狙った改革をこの土壇場でやるんじゃないかと思ったら、意外とその動きもないということで、なぜないかいろいろ考えたんですが、もう改革エネルギーが残ってない、余力がないという結論ですね。

すべて憶測ですけれども、そういうふうに決めつけた上で、この深堀ライブの47、自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論、どうしようかなと思ったんですが、これは続けたいと。

もう「大学」にこだわらない新機軸の教育改革論

時代遅れの改革ラッシュが大学淘汰に拍車をかけるシリーズはここに統合して、自然淘汰時代を生き延びる新機軸の教育改革論ということで、大学に限らず、大学の枠をちょっとぶち壊しながらお話ししていこうかなというふうに、ちょっと開き直って思っています。

というのも、日本の大学にはすでに改革エネルギーもなければ私財を投げ打って私学を何とかしようという経営者、学校経営者ですね。運営に関わる人もいないし、教職員は大体、目の前のことしか見ていないので、やはり未来がないということでもうここは大胆にどうあるべきかという話をしていきたいと思います。


二つの軸:対話と体験

2つです。軸は2つです。

これまでの大学教育は何が間違っていたかというと、いろいろあるんですね。学生募集のために学部の改組、改革なんかをやってきたってこと自体もそもそも本末転倒だというのもあるんですが、何のために大学が存在しているのか。

大学が存続するために存在していたみたいな話があるんですが、これはもう存続を目的にした時点で間違っているということですね。存続はやっぱり結果であって、求められる大学を作ることが一番大事なんですが、そこが根本的に間違っているということで、何が間違っているか。

講義形式中心の大学に未来はない

これ前回もお話ししたんですが、もう講義形式中心の講義中心の大学は未来はないというのが1つですね。なぜか。講義では主体的な学習は育たないから。この1点につきますね。

私は2つのことをこのシリーズでは、軸にしてお話ししようと思っています。

AI必須の対話型教育へ

1つが対話型の教育。対話型の教育。

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