鄭雄一「多様性と道徳性」第一部:仲間が作る枠組
昨日、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所で東京大学大学院医学系研究科と工学系研究科の教授を兼務されている鄭雄一氏をお招きし、「多様性と道徳性」第一部:仲間が作る枠組並びに第二部:仲間とは何か、について第三回「ウェルビーイング教育研究会」(代表は筆者)が開催された。
同研究会には第二回研究会で講演していただいた同大学院道徳感情数理工学講座を担当されている光吉俊二特任准教授も参加され、参加者との活発な論議が行われた。両教授の講演内容は講演録に基づいて論文化することに同意いただいたので、鄭教授の許可を得て、まず73枚に及ぶPDF資料の主要部分を公開したい。
<背景:多様性と道徳性の関わり>
■最高のモノ・システム・サービスを作り上げるには、国境や分野に関係
なく叡智を集める必要性
➡国際化・異分野融合により境界を越え、多様性を実現することがカギ
■境界を越え、異なる価値観に触れる時に、各人の道徳体系が問われる
➡グローバリゼーションが叫ばれる今、道徳を根本から見つめ直す必要
「世界中の人間が仲良くすべきだ」VS「よそ者は追い払うべきだ」どちら
が正しい?
「多様性と道徳性(自由と平等)」は両立する?
<道徳を科学する>
問題点の検出➡問題点の分析➡統合とモデル化・・・粗視化
1 既存の道徳の問題点は?
的確に設定できないと行き詰まります。問題自体を「粗視化」します
<道徳における未解決問題>
■疑問1「誰が、なぜ、殺人はいけないと決めるのか?」
粗視化・整理すると大きく二つに割れている
➡社会の権威のある存在が決めた VS 自分の心が決めた
➡社会が壊れるのを防ぐ VS 自分が死にたくない
■疑問2「なぜ戦争や死刑では殺人が許容されるのか?」
阻止化・整理すると、やはり大きく二つに割れている
➡社会を守るため VS 自分の命を守るため
■疑問3「(多様な)人類全体に共通の道徳原理は無いのか?」
場所や時間が違えば、善悪の区別も異なる?
➡グローバリゼーションを裏付ける道徳体系がない➡道徳の空白
2 過去の道徳思想はどうなっている?
⑴ 社会に重点を置く道徳モデル
「理想の社会があり、そこで決まった理想の道徳がある」
例:宗教:キリスト教、イスラム教、仏教など
伝統・習慣:孔子・アリストテレス・会津の「什」など
■つかみどころのない現実に、考えたり行動するための特定の枠組みを
付与(問答無用)
■わかりやすく、子供に教えるには便利
■「(特定の)社会の神格化」
⑵ イエス=キリスト
「人からしてほしいと思うことを、その通りに人にもしてあげなさい」
ブッダ
「生き物を殺さないようにしなさい。そして殺させないようにしなさ
い。また、他人が殺すのも容認してはいけません。」
■神様や仏様が、善いこと悪いことの区別を代行
■判断に迷ったら、経典や専門家に
■問答無用
■「人」とは何を意味しているのか?
⑶ アリストテレス「倫理的道徳は習慣に基づいて生まれる」
孔子「おのれにうち克って、礼にかえることが仁である」「自分のし
てほしくないことは、他人にもしないことだ」
■善いこと悪いことの区別を決めるのは、ある特定の社会の伝統、「当
たり前」
■問答無用、毅然としているが排他的
⑷ 個人に重点を置く道徳モデル
①デカルト以前
「道徳は個人個人が決めるもの」
例:韓非子、マキアヴェリ、ソフィスト、老子、荘子
■個人の欲望・内面を重視
■社会を否定
■そもそも道徳に関心無し
②デカルト以降
「道徳は個人個人が決めるもの」
例:デカルト、カント、ニーチェ、キルケゴール、サルトル、功利主義
■個人を社会から切り離し、社会より上位に位置付け
■「自由」で「理性」を有する個人が主役
■実は「個人の神格化」・・・「リベラル的」思想
⑸ 二つの既存道徳モデルの特徴と限界
①社会に重点を置くモデル「理想の社会と理想の道徳がある」
特定の宗教や伝統・習慣に基づき、善悪の区別の明確な枠組みを提供
安定して迷いがない。しかし…異なる「理想の道徳」を持つ社会(想
定外)が衝突すると無力➡紛争の片棒を担ぐだけ
「権威主義、集団主義、絶対論」
毅然としているが排他的
②個人に重点を置くモデル「道徳は個人個人が決める」
「理性を有する自由な個人」が前提、個人と社会を切り離して考
える傾向 現代では圧倒的人気 しかし…具体的な道徳の枠組みを構
築することができない➡紛争を傍観するだけ
「自由主義、個人主義、相対論」
柔軟だが決定力不足
➡いずれも多様性と道徳性を両立できない
3 道徳に基本原理はあるか?
⑴ 仮説:道徳の真の姿と既存のモデルの限界
個人!一相対的・個別的
社会!一絶対的・共通的
道徳の真の姿を推定するために、具体的な掟である戒律を調査
➡一部真実は含むも不完全な評価
⑵ 諸宗教の戒律の共通項から見えるもの
殺人をしてはならない
人のものを盗んではいけない
人をだましてはいけない
➡実は字面と違い、「人」=「生物学的人間一般」ではない
「人」=「仲間の人間」
■「人の痛みを知りなさい」=「仲間の痛みを知りなさい」
■「仲間の人間」と書きかえるとあらゆる社会に共通の掟
すなわち、道徳は仲間同士の内輪の掟
⑶ 仲間と道徳
■人間は仲間と協力・分業して社会を形成
■協力・分業する範囲=社会の範囲=道徳の適用範囲
道徳とは、仲間と協力・分業するための内輪の掟
■仲間意識は危害のない繰り返しの出会いから生まれる協力・分業のた
めの基準
⑷ よくある勘違い
「一人殺せば悪人で、百万人殺せば英雄」(チャプリン「殺人狂時
代」)
数は関係ない。正しくは「人」の違いが重要
「仲間を殺せば悪人で、敵を殺せば英雄」
⑸ モーセの十戒から分かる道徳の構造「道徳には本来二面性がある」
①主が唯一の神である
②偶像を作ってはならない ➡社会ごとに異なる
➂神の名を徒に取り上げてはならない
④安息日を守る
➄父母を敬う
⑥殺人をしてはならない
⑦姦淫をしてはならない ➡すべての社会で共通
⑧盗んではならない
⑨偽証してはいけない
⑩隣人の家をむさぼってはいけない
⑹ 道徳の真の姿と既存のモデルの限界
元々ある二面性の一面のみを強調➡統合理論があるか?
⑺ 道徳の基本原理=「仲間らしくしなさい」
この命令は二面性を持つ
①個別の掟➡「仲間と同じように考え、行動する」
②共通の掟➡「仲間に対して危害を加えない」
■道徳律の認識が重要、個別部分と共通部分がある
■通常は、2つを区別せず、混ぜこぜにして「仲間らしさ」を判定
4 思考実験一人間の道徳の二重性に気づくための思考実験
■個別と共通の二重構造に気づくための演習Ⅰ
①まず、自分の持っている掟を、ランダムにできるだけ多く挙げて、そ
れぞれを付箋紙に書き込み、張り出す
②次に、自分が「異なる国・宗教・民族に生まれ育ったとして、その掟
を受け入れられるか」を想像
➂そのような仮想的状況で、受け入れられる掟と、受け入れられない掟
に分類。
④前者が、共通の掟、後者が個別の掟に大体対応
■思考実験Ⅱ
①まず、組織の一員として自分が持っている掟を、ランダムにできるだ
け多く挙げて、それぞれを付箋紙に書き込み、張り出す
②次に、自分が「異なる部署・ポジション・性別に属しているとして、
その掟を受け入れられるか」を想像
➂そのような仮想的状況で、受け入れられる掟と、受け入れられない掟
に分類
④前者が、共通の掟、後者が個別の掟に大体対応
5 提案一新たな仲間づくりの枠組みの提案
現状:個別の掟の違いが反発力に
異なる社会のメンバーを「足せない」
提案:共通の掟の引力を利用し、寛容により個別の掟の違いによる反発力
を低減 異なる社会のメンバーを「足し合わせる」
■各社会の個別の掟は共通の掟を犯さない範囲でキープして可(混ぜる必
要なし)
■社会➡学校、会社、部署などと置き換えることで、幅広く展開可能
<喫緊の課題>
ウクライナ戦争、ガザ戦争において、誰がどのように間違っているかを根拠を示して説明できるか