井口潔先生の「師魂を受け継ぐ」

 「ヒトの教育の会」初代理事長の井口潔先生は令和3年9月5日に数え年百寿で亡くなられたが、九大医学部の百年講堂で開催されたフォーラムで、同会の現理事長の小柳左門先生は、「師魂を受け継ぐ」と題して、井口先生の思想の原点を振り返り、その思想的意義について講演された。
 百年講堂の前に広がっている広大な庭園は、井口先生が病院長をされていた医学部の創立75周年記念に造園され、同記念事業に情熱を傾けられた井口先生が同庭園の一角に立つスウェーデンの彫刻家ミレス「神の手」像建立に尽力されたことは、井口潔『ヒトにとって教育とは何か一心の行脚』(文芸社)に詳述されている。
 石柱の上に置かれた大きな「神の手」の上には青年が空を仰いでおり、井口先生は「人はすべては神の手にゆだねられているという深い啓示」を感じられ、その感性が先生の哲学の根本であるという。

カレルと岡潔に啓発された「感性と知性の統合」「生理学」の視点

 井口先生は人間性の教育がまともに行われていない戦後教育に疑問を抱き、とりわけ我が国の伝統を無視した「子供中心主義」の教育理念によって子供たち本来の人間性が損なわれていることを憂慮された。
 退官前に読まれたフランスの外科医で1912年にノーベル医学・生理学賞を受賞したアレクシス・カレルの著書『人生の考察』(渡部昇一訳、三笠書房)に深く感銘したという。
 カレルによれば、人間が長く繫栄を続けるためには3つの生命の法則が必要であり、それは、①個体の保存、②種の繁殖、➂精神の発達で、なかでも精神の発達を自然の法則に従うようにしなければ、人類の破滅を招くと警告した。
 さらに精神の発達という法則について、すべての動物の中で人間だけが自発的な努力によって人格の発展に寄与できる、それは人間独自の特性であり、自然の摂理に従った精神のあるがままの発達こそ人類を危機から救う鍵であるとした。
 しかるに、ルネッサンス以来の近代の物質的文明は精神の発達をないがしろにし、物質から精神が出現したことこそ生物の進化、宇宙の歴史で最も意義深いものであるにもかかわらず、知性(実在し測定できるもの)だけを重視して感性(目に見えず測定できないもの)から切り離してしまった。 
 「知性と感性の統合」を目指すカレルに啓発された同時期に、井口先生は「数学は情緒である」と喝破された岡潔の随筆『春宵十話』(角川ソフィア文庫)の「人を生理学的にみたらどんなものか、これがすべての学問の中心になるべきではないか」との一節に出会い、わが意を得たりと膝を叩いて共鳴したという。

感知融合によって教育改革の道を拓く

 井口先生は「生理学」を通して人間の精神の発達について学問的に追求し、「知性と感性の統合」を目指すことによって教育改革の道が開けると考え、「ヒトが人間に成るための教育」の確立を目指した。大脳生理学の権威である東大の時実利彦教授をはじめとする内外の多くの研究書から学び、感性を担う場所を大脳の古い皮質である大脳辺縁系に求め、幼児期において感性の発達(生理学的には脳神経細胞間のシナプスによる結合)を促すことの重要性を強調された。
 子供の発達段階に応じて「情動」を調節し、主に古い脳の大脳辺縁系がつかさどる「感性」と、新しく生まれた大脳新皮質による「知性」とが調和しながら機能するのが「生存の理法」であると喝破された。
 現代の教育は物質文明のために役立つ人間を作ろうとしているが、それは「うまく生きる」ためであって、知性の領域である。一方「善く生きる」ためには、感性の充実が必要であり、古い脳と新しい脳の統合、すなわち「感知融合」こそ、「ヒトが人間に成るための教育」と言える。
 知性は一代限りであるが、人生の充実期を迎えるほどに感性はますます人間性を深めるうえで意義を増し、感性はかくて自分と先祖との間を循環する。自意識は人格の形成に必須であるが、欲望的な感情が渦巻くので、自己を抑制する道徳や躾が求められ、「稽古三昧」によって我を忘れ、大自然(宇宙)と一体化する「無の境地」に至るという。
 
●「心で生きる生物たる人間の法則」一岡潔と「人間の五ケ条

 井口先生によれば、「道徳の根源は自我の欲望を抑えること」にあり、人間に生来備わっている感性が、父母の愛情と凛とした躾とによって目覚める。人間はいかに生きるべきか。それは大自然の秩序に従うことであり、孔子は『中庸』において、「天の命ずる、之を性といふ。性に従ふ、之を道といふ。道を修むる、之を教といふ」と述べている。これを井口先生は「心で生きる生物たる人間の法則」と宣言された。
 井口先生は「心で生きる生物:人間の五ケ条」(6月28日ノート拙稿「『他と共に生きる』井口生物学的教育論に学ぶ」参照)を説かれたが、岡潔ならこの「人間の五ケ条」をどのように表現するか、について小柳左門先生は次のように提示された。

<一、人間の本体は何か。それは情である。ことにその濁りをとった深層にある真情である。
一、自我の発現はおよそ三歳から始まる。三歳までの間に真情が育つ。真情は、母とのふれあいの中で芽生え、父の躾によって、より確かなものとなる。
一、自我を抑制すれば、残るのは真情である。そうすれば、感じるのは喜びと懐かしさである。
一、真情は、大自然の心である。人本然の真情に従うのが道徳である。
一、天地自然のままに生きていくのが人間の正しい姿である。そのように育てるのが真の教育である。>

●「和」の精神の基本は「他と共に生きる

 このようにたどっていけば、井口先生の思想がより一層深まるとして、小柳左門先生は次のような新たな視点を提示されている。
 前述した時実利彦氏は人間の三大本能である食欲、性欲、集団欲の内、最も重要なのは「他と共に生きる」ことを望む集団欲であるとしているが、京大総長で臨教審会長もされた岡本道雄氏も、『立派な日本人をどう育てるか』(PHP)において、人間は他と共に生きる「共生」を教育されて初めて「人間と成り得る」という重大な指摘をしている。
 道徳の基本は「他と共なる生」を妨げるもの(利己心など)を除き、他と共に生きる喜びを高めることではないか。我が国においては、人の生きる道を古代にすでに伝えており、古事記や万葉集において、明るく清らかで素直なも心を尊いものとして表している。
 このような「神ながらの道」を基として、仏教を取り入れ、それに儒教をも合わせた統一的な精神によって17条の憲法を定めたのが聖徳太子であった。その第1条「和を以て貴しとなす」の「和」の精神こそ日本人が古来より最も大切にしてきた心である。
 「和」の精神の基本は「他と共に生きる」ことであり、「他と共に生きる」ことが「ヒトが人間となる」重要な基本であり、道徳の基本でもある。井口先生が最後に遺された言葉は「一心に未完のままに進め」であったという。結果は問わず、倒れてもよし、ということであろう。
 最後に、小柳先生は松尾芭蕉の句「いざ出でむ 雪見のころぶ ところまで」を詠んで講演を締めくくられた。美しい真っ白な雪、その姿を求めて転ぶところまで、さあ行こうではないか。私もこの「師魂を受け継ぐ」ことができるよう精進していきたい。

 
 
 


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