渋沢栄一に学ぶ一道経合一・親孝行論

曾野綾子「日本人の美徳の崩れが恐ろしい」

 作家の曾野綾子さんが相次ぐ企業の不祥事を痛烈に批判しつつ、日本人から道徳心が失われたことに警鐘を鳴らした「日本人の美徳の崩れが恐ろしい」(産経新聞8月15日付「正論」)という次の一文が強く心に残っている。

 「建築の強度偽装、自動車の燃費に関する虚偽の申告、歴史ある大手企業の粉飾決算など、日本人の誇りだった誠実と職人気質を失った姿を見ると、私はわが国の将来に暗澹たるものを見る。彼らは仕事の発注者や株主や消費者を騙しただけではない。日本という国を詐欺の容疑で売った新しい『売国奴』に等しいのである。」

井深大『あと半分の教育』

私がこの記事を読んで思い起こしたのが、ソニーの創業者・井深大著『あと半分の教育』である。3年間の在米占領文書研究から帰国後、最初に講演依頼の電話をいただいたのが井深氏本人であった。
 ソニーの幹部約30人に講演したが、3時間に及ぶ鋭い質疑応答に驚いた、その講演を基に『あと半分の教育』という本を上梓され、御礼はソニーの製品から自由に選んでくださいと言われてさらに驚いた。
 教育基本法と補完併存関係にあった教育勅語が占領運の口頭命令によって廃止させられたことによって、法と一体であった道徳が否定され『あと半分の教育』になってしまったのである。その結果、曾野さんが指摘する「日本人の美徳」が失われたのである。
 臨教審の岡本道雄会長によれば、「プラトン哲学研究の権威、田中美知太郎京大教授に臨教審の21世紀の教育課題についてアドバイスを求めたところ、『親孝行』の一言に尽きると言われた」という。

渋沢栄一の道徳経済合一説

 日本近代化の立役者であり、実業の世界で偉大な業績を残す一方で、『論語と算盤』等の著書を通じて、渋沢栄一は次のように道徳経済合一説を提唱した。

<商工業者の品位を高める事が必要であると考え、自ら率先して論語の教訓を服膺し自ら範を示す同時に民間実業家の品位を高めようと考えたのである。論語は2400年以前の古い教訓であるが、吾々の処世上最も尊む可き実践道徳であり、また実業家の金科玉条と為すべき教訓も沢山にある。…私は実業界に身を投ずるに当って、論語の教えに従って商工業に従事し、知行合一主義を実行する決心である」(『渋沢栄一自叙伝』)

 渋沢は「私は論語で一生を貫いてみせる」と宣言し、『論語』を机上の学問ではなく、実践道徳として捉え、知行合一の精神でこれを率先垂範した。
 さらに渋沢は、自らの体験に基づいて「富を成す根源は、仁義道徳(仁愛と道義)」「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と説き、商工業者の武士道とも言うべき「実業道」を提唱し、この実業道を推進するために人格を高める修養を重視した。

 教育基本法第9条には「教員は絶えず研究と修養に励み」と書かれているが、教員研修には「研究」はあるが「修養」はすっぽり抜け落ちている。それだけに渋沢が実業を「士道」という視点で捉え、日々の経営活動において道徳を実践し、自分を磨くことの重要性を説いたことに深い感慨を覚える。

渋沢栄一の「親孝行論」 

 また、以下のような渋沢栄一の「親孝行論」も注目に値する。

 <父が無理に私を父の思う通りのものにしようとし、かくするのが孝の道であると、私に孝を強ゆるがごときことがあったとしたら、私はあるいはかえって父に反抗したりなぞして、不幸の子になってしまったかもしれぬ。幸いにかかることにもならず、及ばぬうちにも不幸の子にならずに済んだのは、父が私に孝を強いず、寛宏の精神をもって私に臨み、私の思うままの志に向かって、私を進ましめて下された賜物である。>
 <『論語』に「親孝行をしたいなら、父母には病気以外のことで心配をかけてはならない」という文章がある。また、「近頃、親孝行と言えば、ただ親を物質面で養うことを言うらしい。だが、そんなことなら動物の親子でもやっている。そこに尊敬する気持ちがなければ、動物と一緒だ」とも記されている。この他にも、孔子は親孝行の大切さについてしばしば教えを説いている。しかし、親の方から子供に孝行するように強制するのはかえって子供を不幸にしてしまうと私は思っている。私にも子供が何人かいるけれど、彼らが将来どうなるのかわからない・私としても子供たちに、たまに「親孝行したいなら、父母には病気以外のことで心配かけてはならない」というような話を聞かせることもある。それでも、決して親孝行を強要したりはしないようにしている。親の見方次第で、子供を親孝行にも、親不幸にもしてしまうものである。自分の思う通りにならない子供を、親不孝だと思うのは大きな間違いだ。「孝」の道は、そんなに簡単なものではないだろう。親の思う通りにならず、いつも親もとにいて面倒を見ないからと言って、それは必ずしも親不孝な子ではない。>(『論語と算盤』)
<「孝行は親がさしてくれて初めて子が出来るもので、子が孝をするのでは無く、親が子に孝をさせるのである」(『渋沢栄一訓言集』(教育と情誼)>

渋沢栄一と廣池千九郎の関係

 「道経一体」「三方良し」を説いた廣池千九郎を東洋法制史へと導いた学問上の恩師で廣池に強い影響を与えたのが、渋沢栄一の長女歌子の夫である穂積陳重で、廣池も穂積に対して尊敬と感謝の念を抱いていた。
 また渋沢の次女の夫である阪谷芳郎は、廣池の活動に対して支援を続け、新渡戸稲造とともに、廣池の『道徳科学の論文』に序文を寄せている。
 廣池は昭和9年と推定される講演において、渋沢の業績について次のように言及している。

<渋沢さんは論語を読まれた。最高道徳では未だなかったが、論語を経典として孔子の教えに拠り自己を修め、家を斎め自分の事業をやって行かれた。私の先生の穂積陳重先生の奥様は渋沢子爵の夫人の腹から出た方で阪谷男爵の夫人も同様でありますが、その関係から私も渋沢子爵のお宅に伺いこの最高道徳に就いてお話いたしましたが、未だ本も出来ず、具体案も出来ない時でありましたが、非常に結構なことであると大変喜ばれ、度々ご馳走になりましたが、子爵の事業は常に道徳的でありました。…陛下も一遍会いたいと云う仰せで、九十歳になられた時、杖をついて宮中に上り、陛下には拝謁の光栄を得られました。今の二代の方も子爵の教訓をよく守られ、中々よくやっておられます。私の先生の穂積家にしても、阪谷男爵も皆その血統を引いて、ご子孫は優れた方です。>


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