性の共通性の縦軸と多様性の横軸の「正しい理解」を一「性の在り方はグラデーション」は非科学的俗説
●人形クッキーから活動家が考案した「ジェンダーパーソン」の俗説
数研出版の高校「公共」教科書の20頁に掲載されている「性のあり方はグラデーション」のチャートについては、6月16日付ノート「埼玉県『性の多様性理解増進法』と『性の多様性リーフレット』の問題点」で詳述したように、人形クッキーのジンジャーブレッドマンを土台にして活動家のサム・ミラーマンが考案した「ジェンダーパーソン」の俗説で、「性=男と女」という固定観念を打破して、性の在り方は各人によって男性性と女性性の度合いが異なることを、図解で説明するために考案したもので科学的根拠は全くない。滝本弁護士も指摘されたように「欧米発の世界的な文化大革命」すなわち、グローバル性革命・ジェンダー革命が思想的淵源になっている。
イギリスの学校でもこのチャートを教えてきたが、この特定の文化マルクス主義のジェンダーイデオロギーに基づく性教育のあり方を根本的に見直す動きが始まっている。「性別は生物学的に男女しかない」ことは、オスとメスが一緒になって子供を産んできた「5億年の有性生殖の伝統」の”共通性”という縦軸であり、性的指向、性自認、性表現という性の”多様性”の横軸を明確に区別しないで並列的に図解すると子供の性の理解が混乱する。
●「性自認」=「性的自己決定権」は性規範を解体する
性の共通性と多様性の両面から性の倫理、性規範とも関連付けながら、「他律」から「自律」、「自律」から「自立」へと導くのが教育であり、「性的自己決定権」すなわち「性的自立」=「性自認」で性別が決まるという「包括的性教育」は性道徳・性規範を全面否定している点に問題がある。
滝本弁護士が指摘するように「根本的な問題は、性自認の法令化を進めようとしてきた方々の発想が、『性自認で性別が決まる』」という科学的・生物学的根拠のない思想に基づいている点にある。この思想に立脚する子供の「性的自己決定権」は親の「養育権」と対立し、米英で学校と親の対立・分断が深刻化しており、滝本弁護士も指摘しているような「混乱と悲劇」が我が国でも起きることは不可避である。
性にはグラデーションがあると言うのは、性に対する間違った認識を持たせる。体の性が人間の性である。この共通性は一生変わる事はない。固定的なものである。人間の性には男性と女性しかない。たとえ、性転換手術をして人体の外側の模様(バストや喉ぼとけや性器等)を変えることは出来ても、内側の生理的な機能を変える事は出来ない。また、女性を男性に変える性転換手術をする中で子宮を除去すれば、子どもを出産する事は出来ない。また、男性が女性になる性転換手術を受けても子どもを出産することはできない。性転換手術によって男性が完全なる女性や女性が完全なる女性に変わる事は出来ないのである。
●性的指向・性自認・性表現は流動的
しかし、教科書の「性のあり方はグラデーション」(性のスペクトラムとも言う)のチャートでは、身体の性において右に傾くにつれ、男性性が強くなり、左に傾くに連れ、女性性が強くなるようになっているが、その中間は男性性と女性性の中間になっている性であるのか。つまり、身体の性には50%が男性で50%が女性であるという人が存在するということなのか。また、このチャートが示していることをそのまま受け止めるとしたら、男性性70%・女性性30%の人も存在し、男性性30%・女性性70%の人も存在していることなる。これをもって人間の性を表わすことに医学・科学的な根拠はない。
性的指向や性自認や性表現は固定的なものではなく、変わることがある流動性を持っている。性的指向や性自認や性表現が変わった事例が世界に多数ある。そのような性的指向や性自認や性表現は、心の事柄、或いは、心の問題である。それら自体、「性」ではない。また、そのようなものを「性」と定義するならば、医学・科学的な根拠はあるのかということである。
イギリスでも、生徒に「性のグラデーション」のチャートを示して、各生徒が、自分の体の性、性的指向、性自認、性表現の度合いにおいて、それぞれ、どのレベルにいるのかを示すようにして、性認識をさせる包括的性教育をしてきたが、根本的見直しに着手した。
性的指向、性自認、性表現は、「性」ではなく、自分の性的状態に関してどのように認識しているかという性同一性(性アイデンティティ)である。共通性である体の性と多様性である性的指向・性自認・性表現を一括りにして、性のあり方はグラデーションがあり、各人の性の度合いは、それぞれ異なり、性には多様性があることのみを強調するのは、教育者と学習者を混乱させる危険性をはらんでいる。
●根本の枠組みから「理解」を増進するための参考人招致を!
体の性は存在し、明確な科学的根拠がある。性的指向、性自認、性表現も存在しているが、それらが「性」であるという科学的根拠をもたない主観的な思考に過ぎない。従って、体の性と性的指向や性自認や性表現は区別すべきであり、一括りすべきでない。「性のあり方はグラデーション」という論理は科学的な有効性のない論理で用いるべきではない。
教科書に、体の性、性的指向、性自認、性表現を言及するならば、それぞれの異なる定義を示し、体の性は変わることのない固定的なものであるが、性的指向、性自認、性表現は存在するが、それらは「性」ではなく、変わることがある性同一性として説明すべきである。
このように、「性の多様性」のみを強調し、「性自認で性別が決まる」という思想に基づく「性的自己決定権」を強調する包括的性教育は、人間教育としての性教育としては著しくバランスを欠いている。「性の多様性」を強調しながら、「性行為の多様性」を否定する教育はあり得ないので、教育者・保護者はこれに関して「正しい理解」が必要である。
「生命誌」の提唱者である中村桂子氏、『脳の性差』(共立出版)『男脳と女脳 こんなに違う―感情・思考・行動…性差の謎を解く脳科学』(河出書房新社)の著者である新井康充氏、ジェンダー理論の問題点を指摘する長谷川三千子氏を参考人招致して、LGBT問題について「根本の枠組みから理解する」ことが求められている。
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