岡潔・小林秀雄『人間の建設』の「情緒」論と長谷川眞理子の「感情と情動」論

数学者の岡潔は「情緒」の大切さを説いたが、「感情」「情動」とはどう違うのか。脳科学の視点を導入しながら、岡潔と小林秀雄の対談を中心に考察したい。数学と情緒、言語との関係は「感知融合」という視点からも注目される。

 ●長谷川眞理子「感情と情動」の進化論

 行動生態学者の総合研究大学院大学の長谷川眞理子教授によれば、「悲しいから泣くのだが、自分が泣いていることを認識するとさらに悲しくなって泣ける」という。同教授は「情動」に流されたくないときには、あえてシュレディンガーの方程式を考えることにしており、そうすると噓のように涙が引いていくのだそうだ。
 「感情」は、ヒトという動物が自意識を持ち、全体を意識的に認識して、自分事として自分の経験を言語的に報告できるようになってから出現したヒト固有の現象であり概念である。
 一方、「情動」は、感覚刺激によって引き起こされる怒り、悲しみ、恐怖、喜びといった快、不快の状態で、それらに伴って、心拍数の増加や血圧の上昇など自律神経系の反応が起こる。また、アドレナリンなどのホルモンが分泌されることもある。
 近年の脳科学研究によって、どんな年齢の誰にでも、子供をかわいがろうとする「親性脳」があることが判明し、科研費による「親性」育成過程の研究が進められているが、「親性脳」にスイッチが入るためには、小さい子供に多く接する経験が必要である。
 「親性脳」という情動の基礎が脳に備わっていても、それを発動させる十分な刺激の経験(赤ちゃんと触れ合う赤ちゃんプロジェクトなど)がなければ、情動は起こらない。
 また、情動をそのままに増幅することは簡単に起こるが、認知的に一歩加えると、情動を制御することもできる。これらのことは、今後の教育や少子化対策の在り方を考える上で重要な示唆を与えてくれる(『現代思想』12月号、青土社、長谷川論文,22-25頁、参照)。

●岡潔の「数学における感情の役割」論

  ところで、岡潔と小林秀雄の対談『人間の建設』(新潮文庫)は興味深い必読書である。脳科学者の茂木健一郎氏が脳科学の視点から「情緒」について分析している解説も面白い。情動や感性、感情について科学的研究はあるが、「情緒」は文学であり、科学的アプローチはできないと考えられてきたからである。
 この二人の「知の巨人」の対話には、異分野の中で培われてきた知性が真っ向から向き合い、最初はざわざわと違和感の音を立てていたものがやがて融合し、響き合う「通奏低音」としてダイナミックに止揚されていく醍醐味がある。この異例とも言える響き合いの理由を解き明かす鍵は、岡潔の言う「感情」ないしは「情緒」にある。
 岡潔は「数学における感情の役割」について、次のように述べている。

<各数学者の感情の満足ということなしには、数学は存在しえない。知性のなかだけで厳然として存在する数学は、考えることはできるかもしれませんが、やる気になれない。こんな二つの仮定をともに許した数学は、普通人にはやる気がしない。だから感情抜きでは、学問といえども成立しえない。>

 さらに、岡潔は創造性の源としての「情緒」について、次のように述べている。

<情緒を形に現すという働きが大自然にはあるらしい。文化はその現れである。数学もその一つにつながっているのです。その同じやり方で文章を書いておるのです。そうすると情緒が自然に現れる。つまり形に現れるもとのものを情緒と呼んでいるわけです。>

●「思い出す」脳の働きと関連している「情緒」

 さまざまな経験が脳の側頭連合野に蓄積され、それを前頭葉が引き出すことが「思い出す」ことである。過去に経験したことをそのまま再現するだけならば「想起」であるが、経験の要素を組み合わせて新たな脈絡をつなぎ、今までにないかたちで創造するプロセスが「思い出す」ことに他ならない。
 思い出す時に、「こんなことを知っている」という「既知感」が想起の引き金になるように、「このようなものを生み出したい」というビジョンが創造を導く。この「既知感」も「ビジョン」も前頭葉の回路が中心となって生み出される。岡潔の言う「情緒」はこのような脳の働きと関連していることについて、次のように説明している。

<どうも前頭葉はそういう構造をしているらしい。言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいというときには、人は熱心になる、それは情熱なのです。そして、ある情緒が起こるについて、それはこういうものだという。それを直観といっておるのです。>

  茂木健一郎は、「ここに表明されている創造性に関する見解は、現代の脳科学の知見とも共鳴する部分が多い。人間が新しい価値のあるものを生み出すという限りない驚異の秘密を、『情緒』という言葉で指し示した岡潔には先見の明があった」と解説している。
 モーツァルトが一瞬にして交響曲の全体を構想する時、楽譜が隅々まで具体的に記銘されているわけではない。むしろ、ある「情緒」が、極めて精確に捉えられているのである。

●情緒は「創造の出発点」

 「情緒」が創造の出発点となり、創造のプロセスの本質において、数学と文章表現は通底している。この観点から見れば、数学が緻密なのに対して、文章表現は曖昧ということにはならない。
 小林秀雄のようなすぐれた文章家においては、全体構想がなされた時点で、具体的な言葉はその「情緒」の中に把握されている。具体的な言葉は、猛スピードで疾走する「情緒」の後を有限の速度で追いかけていくに過ぎない。
 感性は論理に先駆ける。数列を記述する際の論理的緻密さと等価な情緒の精確さが、自然言語列を導く。以下のような、『無常という事』の中に記された、川端康成に語ったという小林秀雄のあまりにも有名な言葉がある。

<生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。>

 茂木によれば、ここには、一つの「情緒」が確かに捉えられている。日本国をめぐる情勢が緊迫する中で生み出された、この美しい随想は、言葉の配列として、極めて緻密な論理に貫かれている。ただ、その論理が数学の形式では書けないというだけのことである。

●数学と自然言語は表裏一体=「交響的創造」

 数学者の岡潔は、数学の方法によってしか明示的には表現できない領域を扱った。同様に、文学者で批評家の小林秀雄は、日本語という自然言語を用いなければ取り組めない問題に向き合った。
 異分野で異なる音を奏でていたにもかかわらず、創造に至る「情緒」の機微においては、両者は深く響き合い「交響的創造」を実現している。

<ある言葉がヒョッと浮かぶでしょう。そうすると言葉には力がありまして、それがまた言葉を生むんです。私はイデー(イデオロギー)があって、イデーに合う言葉を拾うわけではないのです。ヒョッと言葉が出てきて、その言葉が子供を生むんです。そうすると文章になっていく。文士はみんな、そういうやりかたをしているだろうと私は思いますがね。それくらい言葉というものは文士には親しいのですね。>

 小林はこのように語るが、創造の神様は、自然言語と数学を区別されていない。この二人の対談から私たちが学ぶべきことは一体何か?茂木健一郎氏は次のような文章で解説を締めくくっている。

<「人間の建設」において大切なことは何か。私たちは、何を拠り所とすべきか。インターネットをはじめとする情報メディアの爆発的発展に魂が取り残されつつある現代人にとって、これほど切実な問題はないだろう。この対話の中には、私たちの滋養になるヒントがちりばめられている。
 生命の本質は、不断なる生成。そうして、脳による創造性の出発点は、一つの「情緒」。だとすれば、私たちは「情緒」を育み、耕し、抱くことに心を砕かなければならないだろう。現代の混迷の中で、私たちはいかに「情緒」を美しく耕すことができるのか。二人の先人が範を示してくれている。>

●長谷川眞理子の「道徳性」と「性」の進化論

 「四則和算」を発明した東大大学院「道徳感情数理工学」講座の光吉俊二特任准教授は、この二人の対談をどのように受け止め、「感情」「情緒」と数学、自然言語の関係をどのように捉えるのであろうか?また、この視点と来年度から京大に新設される「哲理数学」の問題意識とはどのように繋がっているのであろうか?
 私は「感知融合の道徳教育」の研究に取り組んでいるが、冒頭に紹介した長谷川眞理子教授は行動生態学の視点から、人間の「道徳性」の至近要因・発達要因・究極要因・系統進化について詳述し、「親による子の世話」の至近要因・究極要因・発達要因・系統進化について詳述している(『生き物をめぐる4つの「なぜ」』集英社新書、第5・7章、参照)。
 長谷川の「感情と情動」「道徳性」の進化論と『人間の建設』の「情緒」論を踏まえた「感知融合の道徳教育」の理論と実践の深化、体系化が今後の私の課題である。
 ちなみに、同書の第1章では、「性の分化」「性差の発達要因」「性があることの究極要因」「性の起源と系統進化」について詳述し、「性差は社会的に作られたものである、という議論」」があるが、「ジェンダーを作り上げてきた人間社会の歴史が仮に一万年あったとしても、有性生殖の歴史はそれよりもずっと長く、30億年の歴史を背負っているのです」と喝破し、雌雄の性の縦軸の絶対的な「共通性」と、ジェンダーという横軸の相対的な「多様性」を明確に区別している。
 

 
 


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