はみ出していく!
眠れない真夜中。
スマートフォンを取り出してFacebookを眺めていた。知り合いの顔が並んだ写真たち。ただ、指でスクロールさせるだけの真夜中。
プロジェクトが成功したとか、幸せだとか、みんなそれぞれ、なんだかんだと笑顔だらけの写真たち。
そして送り合っているコメント欄には、これまた知った顔ぶれが互いに「良かったですねえ」と祝福し合っている。
ふと私だけが世界中から取り残されている気持ちになってしまった。張りきってFacebookに載せるようなものなどないからだ。
もしも載せるとしても「病の中にあるけれど今日もなんとか一日を過ごせました」・・・そんな程度の報告しか出来ない。ピースサインの笑顔で写真を載せるほどの情報ではない。
なんだか自分が世界中からはみ出してしまった気がした。
Facebookという、なまじ知った顔ぶれというのも心に孤独を連れて来る。
みんな、それなりに楽しくやっていて、みんな、それなりに人生に成功していて、私だけが上手くいっていないのか。うめき声にも溜め息にもならない窒息寸前の呼吸をしながら泣きそうになった。
そういえばこのごろ、とみに「うまく生きるコツ」だの「生き方上手」といった見出しが掲げられた雑誌が多い。ピースサインの笑顔の彼らは時流に乗った象徴なのか。
私はどこで道をはみ出し、苦しみだらけの人生なのだろう。闇の中で考えてみる。闘病生活を送っているからなのか、いや、もっと深いところに理由がない気がしないでもない。
結局、眠れないままに朝を迎えた。睡眠不足とFacebookが原因で、一日中、ブルーだった。
取り残されている。はみ出している。頭の中がグルグル巡る。
テレビの歌番組をつけると人気急上昇中・四人組ダンスボーカルユニットの女の子たちがポジティブに叫んでいた。
「個性や自由で、はみ出していく、はみ出していく!」
私は思わず笑ってしまった。ゆうべの悲しい気持ちが薄れてゆくような笑いだ。そうだ、はみ出していいのかと、この女の子たちから気づきを得る。
世界中から取り残されたわけではない。いや、はみ出して取り残されたっていいのだ。深い孤独を知っているそれは「価値ある、はみ出し方」だ。
孤独を知りつつも、はみ出しながら生きることこそ容易いようで難しいのかもね。
そのうち、私も「はみ出していく!」と堂々と笑顔のピースサインの写真でも載せてみようかなんて思ったりして。
うん、今夜は眠れそうだ。