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ヴィジョン-明日へのステップ-

先月9月15日放送の『情熱大陸』というテレビ番組の内容に胸を打たれた。
番組はアフリカのケニアで現地の障害児ケアをしているクリスチャンの日本人小児科医の公文和子医師(55歳)の活動紹介だった。

いったい何に感動と共感したのかというと、私自身が目指していた活動と近かったからであったのだ。かつては私は「将来は宣教師として開発途上国に居住して奉仕・福祉活動をしたい」という願いを持っていた。

その気持ちは決して病める人や生活困窮者への同情心ではない。「互いに助け合うこと」というスピリットは、2歳の時からキリスト教会に通い、世界各地の宣教師の方々などと触れ合っていた私にとっては、ごく自然な感情であり流れだった。そうして、具体的には13歳の時にマザーテレサの働きを知ったことで、自分の進む方向を決めた。

青春期はそのために勉学に励んでいたのだが、20歳の時に道は閉ざされた。若くて人生経験のない私には「まだ機は熟していない」という周囲からの反対である。

自身を冷静に客観的に捉えてみると、確かに、皆のいうとおりだ。やる気だけでは途上国に住むことはできない。現地でそのような働きをするからには、かなりの訓練や様々な経験を経なければならないということを自覚して断念し、まもなく就職・結婚・出産・子育て…と幼いころからの情熱を胸の奥にしまいこんだままに海外奉仕福祉宣教師の世界とは別の方向へと歩みだした。

その後、日本海側の港町のキリスト教会で働くという機会を得たので「これが私の使命だったのだろう」と思った。ところがキリスト教会での働きも続けることはできなかった。病気になったことが理由である。キリスト教会での仕事は多岐にわたる。ゆえに倒れた者が教会という所で働いていくのは、おおよそ困難なことだ。またしても私は挫折したのだ。

中学一年生の時から目指していた事柄といい、教会を辞さなければならない事といい無念であった。福祉を提供する道どころか、病ゆえに、私自身が福祉を受けなければならない身になったのだ。

にもかかわらず、このたびのテレビ番組『情熱大陸』でケニアにて働く日本人女医の障害児ケアサポートの活動を観て、情熱がよみがえった。私には私ししかできない事柄があることに気づかされたのだった。

もちろん、病ある私はアクティブに動くことなどできない身である。今はもう「途上国で宣教師として奉仕・福祉活動をしよう」などとは思えない。

しかし、ベッド上で臥したままでも、私には生きる役割と使命があると思った。それは何かといえば、私の周りの方々を大切にして生きていくことだ。海外奉仕福祉宣教師にはなれなかったが、この国でこの街で家庭の中でベッドの上でも、大切な方々に愛を持って接していく事は、福祉宣教師と通ずるものがあるように感じた。

闘病生活で、たとえ、臥していようとも、生きることには役割がある。

原点回帰したときにあらたに見える景色がある。

海外での活動家ではなくても、とてもちいさなヴィジョンだとしても、私は愛情豊かな者になりたいと目指し明日へのステップを踏むのだ。

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