形のないもの。芸術。〜最後の晩酌、千秋楽を終えて〜
『最後の晩酌』無事閉幕。
一茶企画第一回公演、オリジナルミュージカル『最後の晩酌』無事終演いたしました!!
実は、千秋楽を終えて数日経った今でもまだ、お風呂で鼻歌歌っちゃうくらいには最後の晩酌脳でして、“終わった”という実感がまだありません。(というか信じたくないだけかもしれませんが)
そうです。お察しの通り、僕はこのカンパニーメンバーやお越しいただいた皆様のことがとても好きになってしまったようです。困ったもんです。
今日はそんな僕が大好きな皆様への感謝と、最後の晩酌を上演してみて感じた事、新たに見えた事などを記事にしてみようと思います。(とっても長いんですけど、心を込めて書いたのでぜひ読んでいただけたら嬉しいです。)
『最後の晩酌』で届けたかった想い。
舞台って、2種類あるなと思っていて、日頃私達が知らず知らずに抱えている何かに対する答えみたいなものが見つかる作品とそうではないもの。
個人的には前者の方が圧倒的に多いような気がしています。
『最後の晩酌』には、大善誠の書く日記に重たい台詞が何個かあります。例えば『後ろを振り向く時間などない、たとえ目の前で扉が閉じてもそれと同じくしてもっとたくさんのドアが開いているのです。』だったり、『隣に座ってくれる友を探すには、まずは自分が斜め後ろに座って眺める事』など。
一見すると答えのように見えるのですが、これは “葛藤” なのです。(大事な事なのでダブルクォーテーションつけてみました)
芸術家とは、夢を追いかけて生きていく人種。
全く形のないものを追いかけて生きていく人種。
そんな彼らは人と触れ合う事で、自身の未来を作っていくことができる。
自由な人間は、人と混ざり合う事で夢という進路を見出すことが出来る。逆に、混ざり合わない限り自由の中に溺れてしまう。
大善誠は作中、多くの人と混ざり合う事で“葛藤”を繰り返し、空っぽだった未来に向けて、歩き出す事を考えだしたのではないかと思います。
まさに葛藤の最中が描かれているわけです。
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