たくさんカメラやレンズを使うということは
基本的に、カメラやレンズをたくさん持ってます、使っていますというアピールは単なる機材自慢だと考えている。もしくは、自分に合う至高の機材を探し当てている最中なのかもしれない。
とはいえ、以前も書いたように機材というのはあくまで道具である。撮りたい写真によって、カメラやレンズが変わることは当たり前であって、単一の機材だけで乗り切ろうというのは登山靴でマラソン走る並に自己満足でしかない行為である。ロマンがある場合もあるが、理にはかなっていない。故に、作品に合わせて機材は変えてしまう方が良いと考えている。
ところで巷では大量にレンズを持つ人を「レンズ沼」という言葉が常に飛び交っているが、私からすれば、たいていは「レンズ沼という浅瀬にも入っていない」人たちが使う言葉でしかない。
そもそもレンズはメーカー、開放F値、レンズ設計が違えば性能が異なることは当たり前の話である。コレクターとして買い集めるならそれで良いが、それをドヤ顔でレビューするのは見てて恥ずかしい。コカ・コーラとペプシを飲んで、「あぁやはりコカ・コーラの方がキレがあるね」なんてレビューを見るのと同じである。好き嫌い、当日の気分で飲み物を選択するレベルで良い。レンズも同じで、そのレンズでどういった物が撮るのか。という道具としての選択を厳密に行うべきなのである。たくさん持っているアピールすること自体が情けないと思った方が良い。
では本当のレンズ沼の住人は誰か。私が昔教えていただいたのは、「同じレンズ」を10本以上持つ人である。例えばSUMMICRON50mm f/2を10本、Nikkor5cm f/2を20本といった具合である。これはコーティングの有無やレンズエレメントといった年代による違いや、手作業による個体差が見られやすいためである。そんな中で、自らにとっての至高の一本を探求するためにレンズを買い集めている人である。
写真の定義はデジタル化に伴い曖昧な部分になっているが、基本的にフォトグラムを除けばカメラやレンズが必須である。故に、機材に拘ることは重要であることは以前書いた。しかしながら、それはあくまで写真を撮るために必要な要素としてである。機材が好きなだけなら良いが、写真について語るのであれば、レンズ沼なんて甘ったれた言葉で酔いしれている場合ではない。そもそもそれは浅瀬で水浴びしているだけにすぎないのだから。
以上、かつての自分を垣間見て。
必要に応じて、カメラは作れば良い。それが現状の私の考え。