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「君たちはどう生きるか」なんて解ってたまるか!

こんな映画を観たのは久々だ。
先日、話題となっているスタジオジブリ新作映画、「君たちはどう生きるか」を観た。

火によって母を失う。再婚した父。新しい母に馴染めない。
美しく歩き飛ぶアオサギ。
大叔父によって作られた塔の世界。
死ぬペリカン。
etc…

私は意味を求める人間だ。だからこの映画の裏にある意味を求めて観てしまった。
そんな見方をした映画の感想は、

意味がわからない

という一言につきる。
観てて楽しかった。登場人物は人間的で好きだ。だが映画のエンドロールが流れても、意味は分からないままだった。


現在のnoteには、この作品を理解できなかったという人が次々に感想を投稿しているが、中には作品を我が物のように解説するものに溢れている。

あらゆる作品はそれ自身では存在しえない。享受によつてはじめてその存在を証明される。だが、作品は存在するのみではなく、また成育するものである。作品を育て、作家の意思を継ぐこと。これはもはやたんなる享受ではない。作家と同程度の精神の精力とを必要とする。

福田恆存「文藝批評の態度」

皆、理解したいのだ。理解できないものを自分の近くに置きたくないのだ。しかし宮崎作品は、理解をもって観覧すべきものであったか。

多くの人が純粋さをもって作品を享受できていることを望むばかりだ。

わかってたまるか!



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